ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上
 この文庫本を手にした若い読者のうち、ほとんどがこれらの単語――「宇宙人」「未来人」「超能力者」――があの頃持っていた特別な意味のことを知らずに、ハルヒたちの物語に触れていったのだと思う。
 1978年生まれの僕は作者の谷川流さんの8歳下で、昨年ついに40歳になってしまった。そんな僕がまだ20代だった頃、はじめてこのシリーズの最初の一冊『涼宮ハルヒの憂鬱』を一読したときに最初に思ったのは、「ああ、いたな。こういう女の子」ということだった。誤解しないで欲しい。それは決して僕の周囲をハルヒを始めとするSOS団の美少女たちが取り巻いていた、なんてことではない(あるわけがない)。
 そうではなくて、ハルヒのように想像力と感受性が豊かで、そのせいで学校の人間関係みたいな俗っぽいことには無関心で、結果的に寂しい毎日を送っている女の子が(いや、男の子も)クラスに一人か二人は必ずいたな、と思ったのだ(かくいう僕も、そんな寂しい生徒の一人だったのだと思う)。そして、そんな寂しい生徒は結果的に、何割かの確率で「宇宙人」や「未来人」や「超能力者」や、さらには「UFO」や「埋蔵金」なんてものも信じていたものだった。
 いまとなっては、これらのものに関連性を見出すことすら、もしかしたら難しいかもしれない。しかし、当時はこれらのものは「オカルト」というひとつのジャンルだったのだ。
 あの頃(1970年代から、90年代の半ば頃まで)先進国の消費社会を生きた若者たちは、現実感を欠いた幸福と絶望未満の生ぬるい失望の中を生きていた。「モノはあっても物語のない」消費社会。若者たちが革命で世界を変えようと考えていた時代は遠い過去のものとなり、資本主義の発展が貧困と紛争を社会から(相対的に、しかし大きく)解消していった。それは文句なしに素晴らしいことであるその一方で、若者たちを慢性的に(そう、ハルヒのように)「退屈」させていった。「オカルト」は、宇宙人や未来人や超能力者や埋蔵金や心霊現象は、平和で豊かな現実に退屈しきった僕らにとって、この世界の外側を感じさせてくれる数少ない存在だった。あと、30年早く生まれていたら僕らは革命や反戦運動で「社会を変える」ことに夢中になれる青春期を過ごせたかもしれない。しかし、僕たちは間に合わなかった。僕が物心ついた頃には、むしろ革命で世界を変えるのではなく、(どうせ現実の世界は変わらないので)文化を心の中にインストールして世界の見方を変えるほうがメジャーな生き方だった。その中でも徹底してこの現実の退屈さと戦うことを選択したのが「ハルヒのような」オカルト好きの少年少女たちだったのだ。
もう〝デカイ一発〟はこない。22世紀はちゃんとくる(もちろん21世紀はくる。ハルマゲドンなんてないんだから)。世界は絶対に終わらない。

書籍

『涼宮ハルヒの憤慨』

谷川 流

定価 648円(本体600円+税)

発売日:2019年04月24日

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