まず、尋ねたい(誰に? 知らん)。
 キョンとは果たして何者であるか。
 これからズラズラ書きならべる文章は、ぼくなりに『キョン』の実体を読者に代わって推理推測するものだから、あーあー、そんな男はどうでもいい、俺が萌えるのは朝比奈あさひなみくるちゃん(小)だけだと思う人は、読まなくて結構だ。

 アレ、待てよ。今つい、みくる(小)と書いてしまったが、『動揺』までに(大)はもう読者の前に姿を見せていたっけか。なにせこのシリーズときたら、宇宙人精製の対人インターフェイスだの、〝機関〟派遣の超能力転校生だの、時をかける美少女メイドだのがワサワサ出演して、話の時系列も超高層ビルのエレベーターなみに上下するから、再読三読しても忘れ去るのだ(ボケたといわないでくれ)。せっかくなので注釈しておくが、みくる(大)もまた(小)に負けず劣らずの魅力を発散しており(おなじ人間だから当たり前だが)、にもかかわらずぼくが一番に萌えるのは、図書室備品とタグのつく長門ながと有希ゆきであって、文句のある人は出てきなさい。
 書きたいことを書いてから心配になったので、角川さんにもらったシリーズ第一作の『憂鬱』をこっそり読んで安心した。胸が三割膨大したみくる(大)が姿を見せていた。
 えっと、自分がなにを解説してるのかわからなくなってきた。とにかく問題はキョンなのだ。これだけ周囲に変人奇人怪人がウヨウヨしているというのに、なぜ彼だけは普通だと胸を張って生きていられるのだろう?
 情報制御下で窓が消え壁ばっかという奇怪な教室に投げ込まれ、否応なく世界のあり方について再考察する羽目になっても、キョンは常にキョンで在りつづける。これ凄いことだと思うのだ。魅惑のみくる異時間同位体に遭遇しても正気を失うことはなく、古泉こいずみに宇宙のプランク定数を講義されたあげく見慣れた街角が一挙に暗灰色の閉鎖空間に切り替わっても、青く輝く神人しんじんの破壊行為が開始されても、気絶さえせずに「デタラメだな」と独り言をいってやがる。
 こんな異世界に臨場して、よくも二本の足で立っていられるな、あいつ。
 キョンはしばしば〝普通の人間〟を自称するが、断じて違うとぼくは信ずる。あれだけ怪異に晒されれば、普通の人間なら間違いなく壊れる。それなのにキョンときたら、いつもフツーで在り続けるのだ。改めて凄い奴だと呆れる。
 ぼくもフツーのつもりでいたが軽く馬脚を現したことがある。米軍の空爆に焼き尽くされた名古屋の古い思い出だ。大人が爆弾になぎ倒され、五体満足な男は中学二年のぼくが最年長になった。寒空の川に飛び込みバケツリレーの先頭に立ちアドレナリンを全開してたら空襲が終わった。と油断したとたん、最後の編隊が頭上で焼夷弾しょういだんをばらまいた。その怖かったこと! 炎色の空を上昇気流に乗って海苔みたいな黒い四角が乱舞、風を切って舞い降りてくる。灼熱したトタン板だ。波型の巨大剃刀が命中すれば確実に刻まれる。星々は死に絶え、赤くて黒い色彩が弾け、まさに異世界の夜空であった。ぼくはあんな臆病者だったんだ。周囲まるごと殺意に変容したとき、誰が平常心でいられるか。
 それなのにちゃんと常態に復帰できるキョン。なあ、お前は何者なんだよ、とんでもない勇者だよ。
 怪異と対峙したときの耐性だけではない。禁則事項に妨害されてみくるにかけるべき言葉がないとき、微笑の応酬でひそかな対話を成立させたじゃないか。みくるばかりではない。バグを起こした長門に、情報統合思念体が処分を検討中と聞いてキョンは啖呵を切る。「そんなことになれば、俺は暴れるぞ。お前をとりもどしにゆく」その言葉を耳にした北高きたこう一の無口な少女は、平坦な声で告げたんだ。「ありがとう」……フシギ人間の中でもみくちゃにされながら、キョンはみんなとしっかりコミュニケーションをとっている、やれやれ。
 ただし相手が独裁の女帝ハルヒだった場合はまた別だ。もともと頭ごなしの一方通行だから、問答無用でやるときはやる。たとえ彼女が宙吊りにされた眠り姫であろうと(未読の人は「?」だろうが気にしないで)、墜落するハルヒめがけて教室の窓枠を蹴る。
「ハルヒ!」
 後先も思い出も義務感も正義感もなにもない。必要ない。
 そう、なにもないのだ。なんの考えもなく、ただ彼女を支えてやろうとする、それだけだ。そんなメチャクチャな男の名前がキョンなんだ。
 はじめて抱いたハルヒの体を、意外に細く、軽く感じたキョン。重力にかれて真っ逆様に校庭へ落下しながら、固く、硬く、抱きしめたとき、キョンの一瞬は永遠であったろう。思春期真っ只中、キョンはいい奴で羨ましい奴だ。
 
 ときたま思う、周囲をめぐる非常識的存在の真ん中でガッシと立ったキョンという人間は、猛回転しながら不動を保つ独楽こまの軸そっくりではないかって。また思う、ガッシとなんか立てるわけがない、毎度ハルヒ団長に強制連行され雑用ナンデモ係のキョンだもの、彼をたとえるならヒヨヒヨ中空で揺動しているフーコーの振り子ではないか。でもまあ振り子あってこそ、世界が滑らかに自転しているとわかるんだが。
 だからキョンは『ハルヒ』シリーズの視点人物として不動の位置を占めている。中短編集である『動揺』の中には、主役のハルヒが顔を出さない一編があったりするが、それでもキョンはぶつくさいいながら物語の一翼をになっているのだ。奇跡のキャラを自分の周りに引きつけるとんでもない個性の主だと、ハルヒ自身が1ミリだって思っていないように、キョンもまた自覚のない〝超〟フツーの人かも知れない。
 それならそれでいいじゃないかと、けっきょくぼくは思うのだ。
 超がつこうがつくまいが、あんたが普通の人である限り読者代理人として、怒るべきとき怒り喜ぶべきとき喜んでくれるはずだもの。そうなれば、ハルヒもミクルもユキもイッキも、いつまででも〝そこ〟に――読者みんなの胸のうちに住みついているだろう。
 また逢いたいね、キョン!

(2019・2 ・14 バレンタインデーの日に)


書誌情報▶▷谷川流『涼宮ハルヒの動揺』

※この記事は、6/30(日)までの期間限定公開です。

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書籍

『涼宮ハルヒの動揺』

谷川 流

定価 648円(本体600円+税)

発売日:2019年03月23日

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