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レビュー

黒川博行、渾身のハードボイルド! 猟奇殺人犯VS叩き上げ刑事の息詰まる対決の行方は――『アニーの冷たい朝』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説:タカザワ ケンジ / 書評家)

 しゃれたタイトルである。直木賞を受賞した『破門』をはじめとして、ベストセラーになった『後妻業』、近作の『桃源』など、くろかわ作品のタイトルは素っ気ないものが多い。しかし『アニーの冷たい朝』というタイトルにはロマンチックな響きがある。アニーという欧米の女性の名前が醸し出す甘さと、冷たい朝という硬質の響き。しかし読み終えると、そのタイトルがぞっとするものに思えてくる。

 物語は正体不明のある人物の一人称で始まる。その人物は若い女性の行動をうかがい凶悪な犯行に及ぶ。状況を観察し、行動を起こすその様子はきわめて冷静だ。だが女性を本名とは無関係の「アニー」という名前で呼ぶなど、何かがずれている。うっすらと漂う狂気の匂い。その一方でふわふわとした夢のなかのようでもある。私たちが読んでいるのは、一線を越えてあちら側にいってしまった犯罪者の頭のなかだ。現実味が薄れて当然なのである。

 場面は変わり、女性は死体になってしまっている。セーラー服を身につけ、テニスシューズを履き、頭髪以外の全身の毛をったうえに濃いファンデーションを塗られ、派手な化粧を施されるという奇妙な姿で。

 ここからは夢から覚めたように一転してリアルな世界だ。大阪府警の刑事たちが現場に急行し事件捜査が始まる。犯人は制服マニアではないかと推理するしろという若い刑事に、ベテラン刑事のたにが言う。「わしも長いことこの稼業してるけど、こんな奇妙な仏さんは初めてや」。かくして大阪府警シリーズのなかでも、もっとも猟奇的で、ミステリアスな事件捜査が始まった。

 大阪府警シリーズとは、黒川ひろゆきのデビュー作『二度のお別れ』から始まる一連の警察小説のことだ。刊行順にタイトルを挙げると、『雨に殺せば』『海の稜線』『八号古墳に消えて』『切断』『ドアの向こうに』『絵が殺した』。『アニーの冷たい朝』は八作目に数えられる。九作目の『てとろどときしん』のみ短篇集で、十作目の『大博打』を含めてほかはすべて長篇である。

 そもそも一作目の『二度のお別れ』はベテランのくろと若いかめの黒マメコンビだった。だが、二作目の『雨に殺せば』では黒田が三十代独身のくろに若返っている。呼称は黒マメコンビのまま。その理由について黒川自身が明かしている。『二度のお別れ』は第一回サントリーミステリー大賞で佳作を受賞した作品なのだが、選考委員から刑事コンビに華がないと指摘された。考えた末、こうすることにした。「亀田刑事はそのままにしておいて、黒田を黒木刑事にし、独身にしたのである。なんと、ま、テキトーな解決であったことか。」(『雨に殺せば』角川文庫版あとがき)。このエピソード、黒川博行という作家の人となりを感じさせてとてもよい。

 黒マメコンビはそのかけあいの面白さから大阪府警シリーズを代表する二人となる。しかし、次の『海の稜線』で捜査にあたるのはふみそう(通称総長)の〝ブンと総長〟コンビ。この二人に東京から来たキャリアのはぎわらがからみ、大阪VS東京の丁々発止が繰り広げられる。『八号古墳に消えて』は黒マメコンビ。『切断』は新顔のひさまつという組み合わせ。『ドアの向こうに』は〝ブンと総長〟コンビに、今度は京都出身の五十嵐いがらしがからみ、大阪VS京都の会話が楽しめる。『海の稜線』と対になる作品だと言えるだろう。『絵が殺した』は〝ブンと総長〟コンビと同じふかまち班にいるよしながと、「常人とはワンテンポもツーテンポもずれている」ざわのコンビ。二人のずれっぷりもまた面白い。『アニーの冷たい朝』は初登場の谷井と矢代。『大博打』は深町班のたけうちが語り手だが、そこに文田と総田、吉永も登場し、矢代も深町班の一員として捜査にあたる。『てとろどときしん』は短篇集なので、作品ごとに刑事も異なるが、黒マメ、吉永のほか、しばむらというコンビが出てくる。

 このように複数の捜査官が主人公を務める理由について、すぎまつこいが『海の稜線』(創元推理文庫版)の解説で版元ごとに変えたのでは、と推測している。なるほどそうかもしれない。加えて、黒川博行のキャリアのなかでも比較的初期に書かれたものだからという理由もあると思う。全十作が一九八四年から九一年までの間に刊行されており、スタイルを模索していた時期だといえるからだ。

 たとえば、大阪府警シリーズの多くが刑事の一人称で書かれているのだが、『切断』と『アニーの冷たい朝』は三人称だ。『切断』では死体の一部を切り取り、次に殺した死体に差し込むという猟奇的な殺人事件が描かれる。この二作は異常犯罪を描いていること、犯人と刑事の双方が描かれるという形式が共通している。『切断』は久松・曾根、『アニーの冷たい朝』は谷井・矢代。どちらもこの作品以外にはコンビとして登場しないという点も同じだ。半分は犯人の視点になるわけだから、刑事を描く文章量は必然的に半分になる。そこで濃いキャラ付けは不要と判断されたのだと思う。その結果、どちらもテンポがよく、ページをめくる指が止まらない作品になっている。



『アニーの冷たい朝』には、『切断』にはない要素がある。それは被害者の視点である。追う者(刑事たち)と追われる者(犯人)のほかに狙われる者の視点があるのだ。

 府立高校の教師、だちは二十三歳。大手服飾メーカーのモニターとなったことがきっかけでおおさこという男性と出会い、徐々にかれていく。だが、同時に彼への疑惑が生まれてくる。私たち読者は由美の日常と平行して、殺人事件が連続し、捜査が進む様子を知っている。追う者と追われる者の緊張感のほかに、由美に危険が迫っているというサスペンスが醸成される。由美の頭のよさ、行動力に好感が持てることもあり、もしもこの作品が映画化されるなら彼女を演じる女優に脚光が当たるだろう。

 このように代わる代わる視点が交代していく構成は、映画におけるカットバックを思わせる。カットが切り替わり、その頃一方誰それは何をしていた、と話が進んでいく手法のことだ。黒川博行は映画好きで知られていて、作品にもしばしば映画が出てくる。近作の警察小説『桃源』には、映画狂で脚本家志望の刑事が登場するほどだ。『アニーの冷たい朝』にも、由美が大迫と『シャイニング』らしき映画を見に行く場面があり、暗示的な効果をあげている。

『アニーの冷たい朝』の場面展開のスピード感、エピソードを積み上げていくみつさ、歯切れのいい会話。どれも欧米のウェルメイドなサスペンス映画を思わせる。それも構えはそれほど大きくないが、ピリリとスパイスがきいた作品だ。私が連想したのは、クリント・イーストウッド主演の『タイトロープ』、ルネ・クレマン監督のフランス映画『雨の訪問者』。性倒錯を題材にした映画では、アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』や、ウィリアム・ワイラー監督の『コレクター』を思い出した。いずれも無駄のない描写と展開、見終わったあとの余韻が特徴的だ。

 私の学生時代の友人にフランス育ちの帰国子女がいた。彼女は日本の刑事ドラマは説明的すぎると文句を言っていた。フランスのドラマなら、犯人や被害者がその後どうなったかなんて描かずに視聴者に考えさせるのよ、と。『アニーの冷たい朝』のあざやかなラストシーンを読み終えて、その言葉を思い出した。

黒川博行『アニーの冷たい朝』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322001000244/


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