文芸担当として日々書店にいると、毎日のように新しい小説が届く。ひと月単位で換算すれば相当数だ。一方、新しいタイトルを売り場へ置くには、その度に別のタイトルを売り場から外す選択をしなければならない。残る作品と残らない作品。ある意味、とても残酷な選択だ。それは市場原理を原則にして判断されるが、書店員個人の意思もまた、大きく反映される。勿論、必ずしも全部が返品となる訳ではなく、一旦は一冊だけ棚に残ることが多い。そんな唯一残った自ら書いた作品を、どこかの誰かが手に取りはしないかと、偏執的なまでに書店へ足繁く通う作家の主人公を描いた第二作目『透明人間は204号室の夢を見る』は、私にとって作家・奥田おくだ亜希子あきこさんとの出会いだった。そこで描かれた圧倒的な孤独は、とにかく衝撃的なものだった。ひと言で言えば、孤独に満ちた偏執的な物語だ。それなのに読む側をぐいぐいと引き込む不思議な魅力に溢れるこの作品との出会いに、当時の私は狂喜した。「自分のために書かれた物語だ」と思わせる、好き嫌いこそはっきり分かれる作品かもしれないが、惹かれる人には猛烈にアピールする、そんな独特で奇妙な魅力を感じたのだ。
 本作は、そんな興奮の記憶が冷めやらぬ時期に届けられた。六つの短編からなる連作短編集だ。
 タイトルには『ファミリー・レス』とある。欠けた家族、という意味であろうか。思わずニヤつく自分がいた。きっとすごく奇妙な家族が描かれているのだろうと、期待がむくむくと膨らんだ。
 実際、物語の中の彼らは皆、何が正しい家族で正しくない家族なのか、途方にくれている。自らの家族と向き合う時に感じる、大なり小なりの痛みから、或いは正しき家族観の呪縛から、果たして逃れられるのか? そして、家族とは何ぞや? そんな大袈裟にも聞こえる普遍的な問いかけを、奥田さんはそれぞれの短編に込めているように思える。
 ただ、それこそ星の数ほどあるであろう、どこかの誰かが抱える悩みや疑問に、この連作短編集は答えを出すことはしない。安易な解決もしない。ただそこに在り続けるかのように描く。そして、ずっと寄り添ってくれている、そんな感触も覚える。
 そして、登場人物たちの感情のひだを巧みに織り込むように出来上がる奥田さんの物語の世界は、驚くほど私たちの日常と地続きだ。社会の片隅に在り続ける小さな、どこかしら欠けてしまった家族という共同体。そして、それらを元に構成する六つの短編はそれぞれの色合いを持ち、やはり味わいもまた、微妙に異なる。
 実の姉に、できちゃった婚で彼氏を奪われた形の妹を描いた「プレパラートの瞬き」では、どうしても二人を許すことができずに独り苦しむ姿に胸が苦しくなる。姉妹の複雑な関係と強い繋がり、そこに無頓着で天真爛漫な母親の存在。幼い頃から母親に「否定的な言葉を口にするのは、自分の未来を自ら閉ざすこと」と諭され、誰の悪口も愚痴も言わずに来た姉妹。そんな家族の呪縛から半ば逃れるようにシェアハウスで暮らしている妹は、批判や悪口に愚痴と、普段から言いたい放題の同居人との関係が心地良い。それでもやがては姉夫婦と向き合わざるを得ない。
 売れない画家を続けながらも妻に養ってもらっている状態の男を描いた「指と筆が結ぶもの」では、妻の怒り方がつい面白くて意地悪してしまう夫婦関係は良好ではあるが、ヒモ状態であることで周囲の干渉が疎ましい。そんな妻の従妹の結婚式の折に義祖父母と再会するのだが、結婚当時から続く義祖母からの断絶を感じる一方、目の不自由な義祖父とは妻の存在を通してウマが合う。二人の交流には思わず胸があたたかくなる。妻がかつて義祖母から言われた「家族になるなら、自分の長所を気に入ってくれる人じゃなくて、短所を許してくれる人を選びなさい」という言葉が、色んな意味で示唆的だ。
 離婚して一人娘とは離ればなれの父親の姿を、ひと筋の悲哀を隠し味にしてユーモラスに描いた「ウーパールーパーは笑わない」。かつては妻だった女とその新しい夫との距離感と共に、娘との不器用で意固地な交流が歯がゆくも、思わず胸を打つ。そこにウーパールーパーという変化球が可笑しいが、そのギャップが寧ろ染みる。元妻から言われる「私、一度でいいからちゃんと暁に叱られてみたかった」という一言。そして男が胸の内で「我々はもう友だちでも恋人でも、夫婦でもないのだ」と実感する場面は家族という形の不確かさに、言葉を失う。
 甘酸っぱい中学三年生男子の青春の一頁を鮮やかに切り取った「さよなら、エバーグリーン」では、小学生から中学生、中学生から高校生へと変化するグラデーションを繊細に描き出しつつ、そこへ期間限定だが家で預かることになる認知症を患う曽祖母の存在が、家族という形の危うさと脆さを思い出させてくれる。中学男子と曽祖母はアニメを通して不可思議な交流が生まれるが、決してドラマチックなものではなく、ドライだ。中学生の淡い恋模様もまた、抜群にリアリティがあっていい。
 事故死した双子の姉の一人娘を引き取って、何とか本当の母娘になろうとする妹の姿が痛々しい「いちでもなく、さんでもなくて」では、きっと多くの人が涙するのではないだろうか。本当の家族とは? そんな素朴で重い疑問を抱えながらも、何とか形づくろうとする妹の苦悩と闇雲な行動は誰にも否定できるものではない。姉の娘が「あのねえ、好きな人のことは、ほんの少しの違いまで分かるんだよ」という一言に、やはり家族の重みを感じる。
 最後に収められた単行本時書き下ろしの「アオシは世界を選べない」は、犬が主人公の変化球だ(『吾輩は猫である』の奥田亜希子犬バージョンか)。予備校で絵画の講師をしながらも女性関係にだらしがなく、自分の仕事を認めてくれようとしなかった父親を憎み、自身も結婚式直前に浮気をされて結婚を破談にした娘。父親の教え子だった漫画家を目指す男。そして、娘の家族が飼っている犬。病死したばかりの父の記憶を巡って明らかになる、それぞれの過去。あくまで犬の目線にして描かれてはいるが、ここにも家族の形がなぞられる。「好きなものを選べる幸せは確かにあるけれど、選ぶ余地がなければ知らずにすんだ不幸も絶対にあるって、そんなふうに思うんです」この一言が、胸の中で反響する。犬が彼らの複雑な関係について、犬らしい(?)真っ直ぐに願うある思いは、まるでこの小説全体を包み込んでいくように優しく広がっていく。
 きっと自らの環境と何ら同じものがなくても、描かれる登場人物たちの感情や科白せりふに胸をかれる瞬間が何度も訪れるはずだ。押しつけのお涙頂戴ではなく、胸の奥をつんと衝かれて、こみ上げるようなもの。ひょっとすると、そんな風に胸に響くのはどれか一編だけかもしれない。それでも、できればもう一度読み返してほしい。実は奥田さん、巧みな仕掛けを用意している。本作は連作短編集。それぞれの短編の登場人物の誰かが、他の短編の誰かと繋がりを持っている。それらの関係性を知ってから読むと、また、新たな世界の広がりを形成して、余韻がどこまでも物語に奥行きを与える。それは、格別の味わいだ。
 恥ずかしながらこの解説を書くに当たって、唯一未読だったデビュー作『左目に映る星』を読んだのだが、とても驚いた。内容の素晴らしさは勿論のこと、私が作家・奥田亜希子に惹かれ続けている理由が、ちりばめられていたのだ。そして、しっかりと刻まれた人間の絶対的な孤独。それは本作もまた同様だ。だからこそ、私はこれからも奥田さんの小説を読み続けるのだと思う。


>>奥田亜希子『ファミリー・レス』

書籍

『ファミリー・レス』

奥田 亜希子

定価 691円(本体640円+税)

発売日:2018年10月24日

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