【カドブンレビュー】

 
SF小説の巨匠である筒井康隆に対して抱くイメージは人によって随分異なるのではないか。世代を超えてヒットし続けているだけでなく、幅広い作風であるから、真っ先に思い浮かべる作品によって、印象が大きく変わる作家であると思う。私はアニメーション映画の『時をかける少女』や『パプリカ』を高校生のときに見た世代であるため、筒井康隆はそれらの原作者であるというイメージがとても強い。そうした第一印象を持ったまま本作を読んだ私は、いい意味でこれまでの印象が上書きされ、改めて筒井康隆ワールドの奥深さに唸ることになった。

筒井康隆は四次元を巧みに操る作家だと思う。過去や未来といった時間軸だけでなく、夢と現実、現世と来世などが入り混じって物語が展開されていく。本作『ホンキイ・トンク』もまた、その真骨頂が発揮された短編集である。

蒸発した夫への妄想が現実と入り混ざる「君発ちて後」、死後の世界から現世の家族を見守る「ぐれ健が戻った」、入れ子構造に深読みさせられる「小説「私小説」」は、異世界との境界が徐々に曖昧になっていく感覚をたっぷりと味わうことが出来る。また、平均寿命が150歳前後となった世界を皮肉る「断末魔酔狂地獄」やAIを思わせるコンピューターが政策を決めていく「ホンキイ・トンク」などの現代を風刺したSF作品は初掲載から時が経っているにもかかわらず、今でも新しさを感じる。同時に、ユーモア溢れる作品にも注目したい。江戸から明治に変わっていく中で、時代遅れになった仇討の滑稽さを描く「ワイド仇討」、性的欲望の不思議さとおかしみが込められた「オナンの末裔」、小野小町が雨乞いをした逸話にタイムスリップしてきた未来人が介入する「雨乞い小町」など、何ともバラエティーに富んだ作品集となっている。
SF作品の面白いところは、非日常的な物語を通じて、私たちが直面する現実を鋭く切り取っているところである。タイムマシンで過去に戻れば戻るほど、決して変わることのない今がより一層際立つように、ある仮定が置かれることによって、日常に潜む普遍的な主題が立ち上がる。例えば、「ぐれ健が戻った」では不憫な暮らしをしている夫婦の生活が、幽霊となった彼らの家族の視点から再構成され、生きていること自体の幸福さが浮かび上がる。
「ふたりで助けあって、いつまでも生きて行こうなあ」と、信二が叫ぶようにいった。「短気を起して他人(ひと)から嫌われようが、貧乏して他人から笑われようが、そんなこたあ構わねえ。おれは馬鹿だよ。馬鹿で気短かだよ。だがな、おれだって生きて行く権利ぐらいはあるんだぞ。ざまあ見ろ」
「そうだ。生きて行け」親父が泣きながら叫んだ。「雑草みたいな生きかたでいい。とにかく、生きていりゃあ、それでいいんだ」

(P.198より)

書籍

『ホンキイ・トンク』

筒井 康隆

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