みなさま今、ドキドキしているのではないでしょうか。興奮できる世界に出会った、早く続きが読みたい、と。こんな解説を読んでいないで早く続きを読んで、という気持ちと、いや、でもしかし、落ち着いて一休みしながら、この世界をじっくり味わいつつ読んでほしい、そんな気持ちの両方が混在しています。一休みしたいという方は、しばしお付き合いください。
 本作は、2015年本屋大賞受賞作。ジャンルとしてはファンタジーで、本屋大賞ではこのジャンル初めての大賞受賞となる作品です。
 ファンタジーとは何なのか。今、書店の売り場には様々なファンタジー小説が並び、溢れているといっていい状況かもしれません。棚を見渡すと、剣と魔法の冒険譚、異世界への転生、あるいは特殊な力を持つことで、日常をベースにしつつも非日常を取り入れたもの、SF要素を交えたもの……。様々なファンタジー小説があります。例えば、「舞台は奈良公園。人間が寝静まった深夜、特別な能力を持つ鹿たちが、王の証たる黄金の鹿せんべいを求めて、日々闘いを繰り広げていた……鹿の王」なんて話であったとしても、それはそれでファンタジーとして分類することでしょう。
 では、あらためてファンタジーとは何か。その問いには、この本こそがファンタジーである、この本を読めばわかる、と、答えたいと思います。魅力ある世界を創り出すこと、そして、そこに生きる人々を描き、物語を紡ぐこと。そしてそれらが、当然のごとく在るものであるように、感じられること。棚をつくる書店員、という立場をおくならば、私はそういった小説こそがファンタジーだと考えています。
 話を本屋大賞に戻します。今までの大賞受賞作は、それぞれに素晴らしい小説ですが、日常と繫がった世界のお話だとまとめることができるでしょう。時代が異なるものもありますが、それについても過去の現実世界とは繫がっています。
 これは、本屋大賞が投票で決められることと、関係があるように思えます。多くの、年齢や性別も違う人々が投票するため、結果も、多くの人に受け入れられやすい、読んで共感を得やすい、そういった作品が選ばれやすいシステムである、と。もちろん、老若男女のお客様が訪れる書店にとって、相性のよい選び方だと思います。
 しかし、ファンタジーである『鹿の王』が本屋大賞に選ばれました。これは、多くの人がこの世界を受け入れた、そして自身の日常と繫がる何かを感じた、ということではないでしょうか。
 大きな物語、には違いありません。しかし一方で、そこに生きる人々や出来事が、細やかに描かれています。例えば、飛鹿ツピの出産シーン。一つの生命が産まれだすその瞬間が、目の前で起こっていることのように感じられ、胸に温かいものが宿り、思わず涙ぐみそうになりました。
 あるいは、岩塩鉱を案内しているシーン。鉱内を照らすための提げ灯りに入っている油の量がきっちり6時間分、滑車を回すために繫がれたままの馬、その馬の餌を狙うネズミを狩るために気儘に行き来する猫たち。
 こういった描写によって、読者はその存在・意味を具体的にイメージすることができ、この場所があたかも実際に存在しているかのように感じることができます。それは、まだ知らない外国を案内されているかのような感覚で、そのリアリティゆえに、自身の日常に繫がる感想を持てるのだと思います。
 時には世界を大きく映す一方、また時には些細なことに焦点を当て、ぐっと対象に、寄せて映す。優れた映像作品のカメラワークのような描写に魅入られますが、カメラワークといえば、もう一つ本作には特徴があります。それは、二人の主人公がいるということです。
 妻子を亡くし、独角の戦士として闘い、敗れて、奴隷になり、ウイルスを身に宿すことになった戦士、ヴァン。滅んだ王国の末裔であり、しかしながらその知識を活かして強かに生きているオタワル人の医師、ホッサル。それぞれに魅力的であり、その物語を追いたいと思うのですが、視点はしばしば切り替わっていきます。その替わるタイミングが、また巧み……いや、正直に言いますと、憎い! 切り替わりのカメラワークが、後から思えば、ここしかない、というタイミングではあるのですが、読書中には続きが気になって仕方がないものなのです。そんな殺生な、という思いを残させつつ、新たな物語にも惹きつける。こんな読書経験はなかなかありません。
 冒頭に、早く続きを読んでほしい、という気持ちがあると、述べました。私自身、この解説を書くために再読した時も、夢中になってページをめくりたくなる衝動と、常に闘いながらの読書でした。この巻だと、終わり方ももちろんですが、その前の章の、あの人物がどうなったのかも、おそらく気になったままでしょう。先が気になって仕方ないタイミングでの切り替え、この本の大きな特徴の一つだと言えます。
 切り替えによる話の続き、以外にも、気になっていることが多くあるのではないかと思います。愛らしきユナの成長、支配する側とされる側の対立、また境遇と自身の誇りとの問題。そして何より、ウイルスがどうなってしまうのか。他にも、数え切れないほど様々な想いを含みながら、物語は大きく、時に細かく、何よりも深く、紡がれていきます。
 今後、何が起こるのか。それを語るのは解説としてのマナー違反であるとともに、とても語りつくすことなど出来ません。とにかく読んでください、そう言うしかないのが正直なところですが、ただ、一つだけ言っておきたいのは、語られている一つ一つのことを、存分に味わってほしい、ということです。先述の通り、今回何度目かの再読をしたのですが、ああ、こんなところに物語の核心に繫がることが書かれていたのだな、と思うことが、しばしばありました。伏線として書かれたものなのでしょうが、自然と、そこに在るものとして書かれていることに新たな驚きを感じました。物語の本筋、伏線、何もかもを含めて一つの世界。そう思って読めば、さらにこの世界が拡がりを持つように思えます。
 さて、一休みにお付き合いして頂きましたが、みなさま、まだドキドキしているでしょうか。今後、さらにドキドキする、ということは間違いありません。続きもぜひお楽しみください。そして、時には繰り返し読みながら、ゆっくりとこの物語を、世界を味わいつくして頂きたいと思います。
 そして最後に、上橋先生。今後も、ドキドキさせてください。新刊が出るのを心待ちにしているのは読者だけでなく、書店員もまた然り、です。素晴らしい本を店頭に並べ、至福の読書の時間をお届けできる。それが、書店員にとっての幸せです。どうか、多くの人に、楽しい読書の時間がありますように。

<<カドフェス2017 特設サイト

書籍

『鹿の王 1』

上橋 菜穂子

定価 691円(本体640円+税)

発売日:2017年6月17日

ネット書店で購入する

    書籍

    『鹿の王 2』

    上橋 菜穂子

    定価 691円(本体640円+税)

    発売日:2017年6月17日

    ネット書店で購入する