メコンにシベリアにアリューシャン。インドに四万十川にニューヨークに伊香保温泉。その土地土地に繋がりはなく、それらの旅の記憶と記述に脈絡なんてものは存在しない。ジェットセッターなんかより漂流者に近く、連綿というか蜿蜿えんえんと続く。
 十四章の「何かの呪縛だったのか」に、「その頃のぼくの仕事は原稿用紙とペンとFAXがあればまあなんとかなったから」という一文があるが、旅先で紀行を書き、次の目的地へ。シーナさんは旅から旅へと移る現代のシンドバッド作家なのだ。そして本書は、いいなあと思うと同時に「よく飛ぶなあ」と呆れる気持ちを読む者に抱かせるシーナさんの旅エッセイの本領だ。
 ロシアの馬ションビールや中国の税関にからんでゆき、痛風を恐れ嘆き、馬と友人のように付き合う。旅先の、あるいは日常の些細なことを拾ってネタとする。内容は読んでからのお楽しみだが、九十三頁の「だから江戸時代には新宿駅がなかったのである」の一文には声を出して笑ってしまった。
 さらに五十一頁には、「スパゲティにバターの塊を投入、(中略)格納庫で見つけた細長い棒でそれを力ずくでかきまわし、あとはそれぞれが蟹を解体し、マヨネーズと醤油で自分で味つけをして食えばいいのだ」とあるが、簡潔下品美味料理の「毛蟹マヨ醤油スパゲティ」といった、うまそうな食べ物の描写のシーナ節は健在だ。
 また、収録された十五編のほとんどが、過去の旅の回想だ。追想や述懐であるため、それがうまく旅情と絡み合い、ペーソスと侘びと寂びとが共存する。音楽でいうところのセルフカバーだから、シーナさんがこれらの旅を経て何を思ったか、どう変わったかまで読み解けるのも興味深い。
「葬送の列」の章が特に顕著だ。シーナさんはいくつかの旅の中で水葬、風葬、鳥葬といった葬列とぶつかり、多様な宗教の死生観を自分の目で見てきた。本人は「葬儀全般の考え方とシステムの違い」と説明しているが、その考えをおそらくシーナさんは旅の中で確立させてきたのだろう。
 文献や追加取材でそれを補強して、二〇一三年に『ぼくがいま、死について思うこと』(新潮社)というシーナワールドの新境地とも言える異色作を発表し、多くの人に読まれた。これもあるいて行ってぶつかったひとつの成果だろう。
 しかし近年、シーナさんは「飛行機は嫌いになってきた」と公言している。本書二十四頁にも「外国への長時間のヒコーキ旅が最近は辛くなってきた」と書いている。確かに、桃鉄のぶっとびカードだけを連用したような旅を続けていた三十〜五十代と比べると、頻度は当然ながら減ってきた。
 シーナさんも歳取ったもんなあ。もうあるいて行ってぶつかることはないのだろうか。と心配する読者も多いかもしれないが、四章の「吉例、年末粗大ゴミ合宿」(チンチロリンで勝ったのは僕です。いえーい)の主要参加メンバーである怪しい雑魚釣り隊の面々などは「あんなこと言ってっけど、すぐでっかい旅がしたくなるに決まっている」と、けっこう楽観している。
 実際、シーナさんは七十代に突入してから、一四年にはアイスランドに約一ヶ月の旅に出た。一五年には台湾で二週間の合宿を張り、一六年と一七年にはアメリカへ。中長期の旅に年一回は出ているではないか。旅するじいちゃんである。旅に魅せられ呪われた作家人生と言ってもいい。
「移動は面倒くさい」と言いながらその一方で今年に入ってから「寒いな。どっかあったかいところに行こうぜ」と宮古島の取材を入れたし、その翌週には「寒いな。温泉で熱燗あつかんだろう」と東北へ堕落温泉旅の予定を組んだ。
 先月も、少し色の落ちた藍色のいつものザックを背負って西へ向かい、大阪で講演をこなし、翌日はポートピアで朝からウイスキーを飲み、朝陽が眩しい海をじっと眺めていた。
そこで何にぶつかったのか、これから出る旅先で何にぶつかるのか。いつかどこかで書くだろう。早く読みたい。

SF愛溢れる著者が脳と心を自由に遊ばせて綴ったエッセイ『長さ一キロのアナコンダがシッポを噛まれたら』"

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書籍

『あるいて行くとぶつかるんだ』

椎名 誠

定価 1620円(本体1500円+税)

発売日:2018年03月02日

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    「本の旅人」2018年3月号

    角川書店編集部

    定価 100円(本体93円+税)

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