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レビュー

『敗者たちの季節』皮肉な運命が彼らを結びつけた。『バッテリー』の著者が描く勝者と敗者の絆!?

 高校野球好きでなくとも広く知られた甲子園エピソードに、「奇跡のバックホーム」と呼ばれるものがある。
 一九九六年八月二十一日、第七十八回全国高等学校野球選手権大会決勝戦、松山商業対熊本工業。
  三対三の同点で迎えた延長十回の裏、ワンアウト満塁で熊本工業の三番バッターが初球を捉えた打球は、高々とライトに上がる。浜風に押し戻されたものの、犠牲フライには充分、サヨナラだと誰もが思った。
 一旦バックして、慌てて前進したライトは、前進しながらキャッチした勢いを利用して、思い切りバックホーム。

 日本で少年野球を経験した者なら、誰もがそれを見て「駄目だこりゃ」「一か八かは分かるけど」と嘆息したことと思う。
 レーザービームではない、中継も使おうと考えていない、超山なりの返球だった。
 だが、その大陸弾道ミサイルみたいな超山なりのボールは、山なりだったが故に浜風で加速し、なんとダイレクトでキャッチャーミットに収まる。
 間一髪のタッチアウト。
  試合はその直後、延長十一回の表に三点を勝ち越した松山商業が、十一回の裏を抑えて優勝を飾る。

 この試合が奇跡と呼ばれるのは、あのバックホームのワンプレーだけが理由ではない。
 九回裏の熊本工業の同点ソロホームラン、十回裏のライトフライの直前に宣せられたライト守備交替、強い浜風、鍛えられていたからこそ三塁ランナーが選択した最短距離の走路、練習で大暴投を繰り返していたことを思い出したキャッチャーの位置取り、バットを拾おうとしたためにセオリーとは異なる位置に移動せざるを得なかったが、そのおかげでタッチの瞬間を見極めることができた主審のポジショニング、十一回の表の先頭バッターが松山商業のライトで、彼が二塁打で出塁し勝ち越しのホームを踏んだこと。
 奇跡は、確かに人知を超えた場所で差配される。しかし奇跡は、人が思い、考え、感じ、血と汗と涙を流した積み重ねの先にこそ、起こり得る。
 ライトに白球が飛び、その軌道よりも超山なりのボールが返球され、主審がアウトを宣告したあの瞬間、僕達は確かにそれを実感した……。

『敗者たちの季節』を読み終わり、僕が最初に思い浮かべたのは、この「奇跡のバックホーム」だった。
 僕も野球小説を書いたことがあるので、極端なことは書けないことが分かっているつもりだ。あの「奇跡のバックホーム」のようなことを書けば、「現実では有り得ない」と言われるに決まっている。まさしく「事実は小説より奇なり」だ。
 だが、本書で描かれるこの奇跡は凄い。確かに起こり得る。現実にも、レアケースとはいえいくつか起こっている。
 そういうことも含め、あさのあつこさんの作品はリアルだ。
 会話を交わすシーンは少ない、あるいは、まったくない場合さえあるのに。
 そして、人間関係が濃密だ。

『バッテリー』『ラスト・イニング』の巧サーガ(と僕は呼んでいる)、その他の野球を扱った作品ばかりではなく、『燦』『弥勒』シリーズや、最近連載終了した『薫風ただなか』のような歴史小説でも、それは変わらない(もっとも『薫風~』の場合、高校野球も無縁ではない。深くは触れないが、めちゃめちゃ驚かされてしまった)。
 野球もの以外の作品群を読んで、気付いたことがあった。
 濃密な人間関係を感じるのは、物語を紡ぐ者と受け取る者の間に野球という説明不要の媒介があるからというわけではない。
 媒介があるとすれば、人だ。人が人を思うという、人としてのどうしようもない性が作用している。
 本作で言えば、海藤高校野球部エースの小城直登と、東祥学園高校エースの美濃原翔の関係がそうだ。
 彼らは、直接会話を交わしていない。まともに視線すら交わっていないかもしれない。
 だが、彼らは互いの心中を考えてしまう。考えざるを得ない。

 全国高等学校野球選手権記念大会、某県の決勝戦。翔は確かに勝った。自らのバットで直登から放ったサヨナラホームランによって、試合には勝った。だが、優勝決定後に他の部員が起こした窃盗事件によって、学校が甲子園出場を辞退した。
 県代表としての権利は、準優勝の海藤高校へ巡ってきた。
 東祥ナインの屈辱はもちろん、海藤ナインの複雑な心境も、察するに余りある。
 本当は、直登も翔も相手のことなど気に掛ける必要などない。
 効率や生産性だけを優先させれば、直登は目の前の試合に集中していればいいのだし、翔は頭を切り替えて進路のことを真剣に考えなければならない。

 しかし二人は、どうしようもなく互いの心中を想像してしまう。
 直登は、ダイヤモンドを一周するときに高く掲げた拳を下ろした翔の心中を、翔は敗者でありながら甲子園のマウンドに立つ直登の心中を、理解することなどできないことは百も承知で、思わずにはいられない。
 当世流行りの「つながっていないと不安」という関係性とは明らかに異なる。しかし二人は、確実につながっている。細いが、決して切れることのない線で。
 我々読者は、そんな二人にどうしようもなく惹かれてしまう。
 そして、連作短編による多視点を用いたことも、本作にとんでもない深みを与えている。
「夏という今」の八尾、「眼差しの向こう側」の真由香、「遠い閃光」の藤浦、「光を見た」の暁、「光に手を伸ばし」の紀子……。

 彼ら、直接プレーしない者達の視点で語られるエピソードによって、グラウンドとベンチでユニフォームをまとった者達が何を背負い、何を思い、何を摑み取ろうとしているのか、ありありと目の前に立ち上がってくる。
 グラウンドやベンチからでは、光が眩し過ぎて見えない部分が、何故だか見えてくる。詳しく描かれていない甲子園初戦の広州学園高校の選手にまで、思いが至ってしまう。
 以前、あるプロボクサーに聞いたことがある。リングで正対すると、相手がどれくらい努力したのかが、なんとなく分かるらしい。一ラウンドを終えると、どんな研究をしてこの試合に臨んでいるかが具体的に分かる。いいパンチを二つ三つもらうと、トレーニングの内容まで分かる、と。

 ボールゲームであっても、それは変わらないように思う。
 互いに全力を尽くしているからこそ、分かり合えることだ。
 小説家としては言ってはならないことなのかもしれないが、言葉など介さなくとも、むしろ介さないからこそ、分かり合えることが確かにある。
 それを小説によって表現することに成功するのは、至難 だから、本書を読み終わり言葉にできない感想を持つ人は、正しい。の業だ。

 これまた有名な話で恐縮だが、前述の「奇跡のバックホーム」には後日談がある。
 刺した者も、刺された者も、三十代になった。人生のところどころで、互いに「あのワンプレーさえなければ」と思うことが多々あったという。
 そして互いに互いの心中を、想像し続けていたという。
 十七年が経ち再会した二人は、やっと笑い合ってあのころを甘く苦い思い出として語り合えた。
 刺された側が熊本で始めた『たっちあっぷ』という名の店には、両者の高校時代のユニフォームが飾られているという。
 直登と翔にも、いつかそのような日が来ることを、願わずにいられない。

「敗北の意味は百人百様なので、書ききったとも思えません。宿題の半分くらいを提出したような気持ちです」
 本書単行本刊行の際、あさのさんはインタビュー(「野性時代」2014年9月号)で、そう答えていた。
「自分がなぜこんなに野球にこだわるのか、本気で答えを探したい」とも。
 もっと引用したい台詞、もっと掘り下げて語りたいキャラクターはたくさんある。だが、好きなだけ語ると「解説」ではなく「読書感想文」になってしまう。
 ただ、最後に一言。
 宿題の残り半分、一ファンとして、提出を心待ちにしています。



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