そこでさらに謎は深まる――そんな名店が、なぜ、あえて様々な困難を伴う蒲田にあるのか?
 実は、このふたりが通ってきたわだちを調べ、「なぜ蒲田にあるのか」といった秘密を探ってみれば、多くの人の人生を大逆転に導き、事業や商売、そして人生を、成功へと導く数多くの知見が詰まっているとおわかりいただけるだろう。
 夫婦ふたりのある決意が、多くの奇跡を呼び、最悪とも言える時期を迎えた市井の鮨屋に、大逆転の幸せな時間が呼び込まれたという必然――人と人とがつながることで生まれる友情、そして夫婦が互いを想いあう気持ちが生み出す大きなエネルギー。
 そのプラスのスパイラルをたぐり寄せる普遍的な成功の方程式が、そこにはあった。
 そしていっぽうで、鮨を味わう者を驚嘆させるこの鮨屋の仕事ぶりの背後には、隠された悲しい真実があった。
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 今やレストラン業界で知らぬ者がいない蒲田 初音鮨。
 1日で8席×2回転、計16人しか楽しめないその舞台へのチケットを入手すべく、何度も、何度も予約の電話を入れた人は数知れず。しかし、つながったと思っても、その先に聞こえてくるのはいつも「予約は翌年末までいっぱいです」というお詫びの留守番メッセージ。
 営業方針は、その年ごとに決めている。よって当初は、“翌年の予約は取らない”と決めていたが、その予約があっという間に埋まってしまい、お店に食べに来た客でさえ、次の予約を取ることができないありさま。それで翌年までの予約を受けることにしたのだが、それもあっという間の完売。
 1年の営業日、1日の回転数、1回転の人数――それぞれに限りがある。幻とも思える蒲田 初音鮨の予約は、美食家たちにとってもあこがれの的だ。
 しかし、この蒲田 初音鮨。まったく同じ場所、同じ親方が握っているにもかかわらず、ほんの数年前まで……正確には2015年の夏ごろまで……は、誰でも簡単に予約が取れる、いやいやそれどころじゃない、赤字続きで火の車、今日を最後に商売をやめてもいいように身辺を整え、それ故にふたりだけで営業する“明日をも知れない”店だった。
 蒲田 初音鮨は、『ミシュランガイド東京2009』――すなわち、都心から外れた大田区蒲田をもその対象エリア内に入れた最初のミシュランガイド(日本発売のミシュランガイドとしては2作目)からずっと、ふたつ星での紹介をされ続けている。2008年11月から、いちの間をあけずに、2018年11月まで毎年、である。
 しかし、その事実をもってしても、また、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの勝の業をもってしても、2015年の夏までは、わざわざ都心から離れた蒲田にまで来て、しかも万円単位の高級な鮨を食べてやろうという物好きは限られていた。
 無論、勝とて、蒲田では厳しい勝負を強いられることはわかっていた。それでも蒲田に客を呼ぶのだと、歯を食いしばってやってきた。“人の流れ”は簡単には変えられない。しかし、蒲田 初音鮨の運命、中治勝・みえ子夫妻の運命は、その努力を神様が見ていたかのように、数年を経過するうちに大きく変化していった。
 今は押しも押されもせぬ名店、人気店。顧客満足度の高さで群を抜き、お店の経営も安定した。あっという間の“大ブレイク”。中治夫妻の運命、その流れが大きく変わった理由は決してひとつだけではない。
 実のところ“今現在”の蒲田 初音鮨の仕事、“流行る理由のひとつ目”は、どんな素人にだってわかる。いや、本当のところ“どのぐらい凄いか”までは想像できないかもしれないが、その凄み、異様さにはすぐに気付くはずだ。
 なにしろ、使っているネタが尋常ではなく豪華なのだ。
 いや、豪華という言葉だけでは表わせない“凄み”のあるネタが、決して一点豪華主義ではなく、最初から最後まで、もう終わりかと思えばまだ続く。あれもこれも、どこまでも続く、まさにオールスター。ただのひとつも“普通のネタ”が出てこない。
 笑顔と幸福の鮨――しかし、その背後にまとう気概、そして命がけとも言える決意が、幸福オーラの先にほんのりと透けて見える人は限られているのかもしれない。
 その季節には他に一本と見られないほどの、脂がたっぷり乗った2キロ以上ある天然の極太
うなぎ
。ゆうに1.2キロを超える巨大なあわび。きめ細かな“細胞”が、シャリシャリと舌の上に広がり、味わおうと噛みしめると、その極小の粒々が弾けるように躍り始める極上の白ウニ。あるいは淡路あわじ房州ぼうしゅう、和歌山、各地に張り巡る名人級の漁師たちが「コイツは凄いのが揚がった!」と、意中の仲買人に携帯電話で緊急の連絡を入れるほどの魚たち。
 そうしたネタが出たと聞くや、港から遠い住宅街に存在する蒲田 初音鮨の親方に、真っ先に連絡を入れてくる、漁師たちから信頼の厚い仲買人がいる。
 豊洲でも一、二を争う大手の仲卸業者・尾坪おつぼ水産で活け物をあつかってきた成川なりかわ貴大たかひろだ。
 彼は、その日一番の素材が見つかり、自らの人差し指と親指が「最高の弾力」を確認し、心の中でガッツポーズを決めると、次の瞬間には満面の笑みで勝に電話を入れる。
 今では尾坪水産の常務取締役にまでなった成川だが、まだ19歳の若造だった1994年冬頃から、これぞ最高の素材と思ったネタを見つけると、最初にぶつけると決めてきたのが蒲田 初音鮨の親方・中治勝なのだ。
 その日、その週、その季節、これこそ一番という魚は、漁師たちと強い信頼関係で結ばれた本物の目利き、漁師と気持ちが通じる数少ない仲買人が情報を得て仕入れる。
 そして、その仲買人が同じように信頼関係を結んだ料理人、「あの人に使ってほしい」と思う職人に連絡を入れる。
 良いネタを仕入れさえすれば、鮨なんてのは、どのように握ってもうまいのではないか。そんなことを考える人もあるかもしれない。しかし、その良いネタは、高い金さえ払えば誰でも仕入れられる、というわけではないのがこの世界の常識だ。
 良い魚を見る目はもちろん、魚に対する知識も、あつかい方も、そして捌いたあとの仕事のやり方も、すべて見通した上で、最高の素材をあつかってほしい。そうした仲買人の気持ちに応えられる職人にしか良いネタは渡らない。誰もが欲しがるすばらしい素材。それをあつかってほしい職人は誰なのか。
 本物の目利きの仲買人に、真っ先に思い浮かべてもらえなければ、本当にすばらしい素材は手に入らない。どんなに名のある店であっても、どんなに多くの札束を積み上げてもかなわない。
 成川は、普通ならばお目にかかることすらかなわぬ“最上級中の最上級”としか表現できない素材を蒲田 初音鮨に長年、集めてきた。
 それは“高価なネタ”を無条件で買ってくれるからではない、、、、。心の底からすばらしいと思う魚を、最高の状態でお客に提供してくれるという信頼があってこそなのだ。
 こうした、成川の貢献もあって、勝のもとには日本でも有数の最高の食材が日々、ばんばん集まってくる。それ故に、“鮨のプロ”が蒲田 初音鮨で食事をすると、誰もが抱くのが『初音さん、こんな最上級のネタを惜しげも無く大盤振る舞いするなんて、長くは(店を)やるつもりはないのかな』という印象だ。口には出さなくとも、脳裏にはきっとそう浮かんでくる。そして、浮かんできた考えは、そのうち噂になっていく。どう考えても利益が出ているとは思えないからだ。
 明日の営業、来月の営業、来年の見通しなどまったく考えていない。そもそも店を続ける気があるのか。蒲田 初音鮨を食べる同業者たちの脳裏には、そんな疑問さえ湧いてくるほどだという。
 そもそも、素材の選び方、調理の手法など、あらゆる部分で「ここから先は危険」な節度を超えている。こんな常識外な商売は、ずっとは続けられるわけがない。
 そして勝の場合、集めてくる豪華なネタは、魚介の類いにとどまらない。
 たとえば、白トリュフ。
 1キロの仕入れ値が最低でも80万円というイタリア・アルバ産の中でも最高級の白トリュフを、勝は旬の季節、11月になると握り鮨で使う。白トリュフだけではない。はも、松茸、鮎。鮨とはあまり縁が深そうではない素材を、その季節ごとの最高の時期に使うのが勝のやり方だ。
「松茸や白トリュフ。『そんなものを使うなんて、鮨屋のくせに……』と思ってる方はきっといるはずですよ。だって俺は銀座で日本料理を学んでから、ここ蒲田で鮨屋をやってる。だから“えっ?コレを鮨で使うの?”って驚く職人の気持ちが手に取るようにわかる」
 しかし、勝が白トリュフを使う理由は、豪華さを競うためではない。
 先達たちが作ってきた鮨屋の定番コース。しかし、そこから外れて、改めて現在という時間軸に置き換えた時、鮨というスタイルの中で、もっとできることがあるんじゃないか?
 勝が白トリュフに合わせるのは、ふっくらトロトロ、甘みを感じる濃厚な真鱈まだらの白子だ。本格的な秋の訪れを象徴する白トリュフ、そして冬の始まりを感じさせる真鱈の白子。このふたつが出会う11月、勝は惜しげも無く、白トリュフと白子を組み合わせた温かい鮨を客に振る舞う。
 鮨屋が白子をあつかう時、多くの場合、ポン酢や紅葉おろしを使ってつまみにするものだ。しかし、もっと良い食べさせ方はないのだろうか?
「白子ってのは、食材としてあつかう時には“たまご”の一種と考える。火が少しだけ入ってる半熟のところ、とろっとしたやつを温かいままで食べると白子の“甘み”がよくわかる!そうすると、甘みや旨味が最高潮に達するんですよ。その一番おいしい瞬間に口の中に放り込んでもらって、半熟“たまご”の甘みと旨味の調和を口の中で完成させてほしいんです」
 鮨の師匠が弟子にそうするように、ほらこんな塩梅だと手渡しされて、口の中でモグモグすると、なるほどと、意図した味の完成形を味わえる。そのためにも、冷たい白子をつまみに、あるいは冷たいままの鮨にするのではなく、一番いい味が出る温かいままを、温かさの残るシャリと一緒に食べてもらうのである。
 白子とシャリの温度を合わせ、そこに載せるのは禁断のイタリア・アルバ産白トリュフ。
 動物性の脂肪と相性のいいこの素材を、ザク、ザク、ザクッと包丁でスライスすれば、半熟のあったかい“たまご”であるところの白子と一体になって、あぁ、なんてすばらしい季節なんだと実感できる。まさに、反則級のうまさである。11月にここ、蒲田までやってきた甲斐が本当にあった。客はそう感じるに違いない。
 白トリュフを使った鮨は、蒲田 初音鮨・中治勝という職人の“ただならなさ”を象徴する一貫なのである。
 料理無しの鮨のコースだけで季節を演出するべく、勝は、季節に合わせた素材を使う。普通は鮨に使わない素材、あるいは鮨の定石からは想像できないような手法を用いた組み合わせ。そこには小さな驚きが、たくさんある。
 料理人としての経験とセンスを活かしたスペシャリテ(特別な看板料理)は、様々なジャンルの料理で生み出されてきた。勝がもし日本料理を作っていたならば、コース料理の中でそれらを表現し、素材を活かすことで季節感を表現したに違いない。
 ところがそれが鮨ともなれば、真ん中の道から外れたところに向かっただけで“変わり鮨”と呼ばれてしまう。しかし、勝の場合は、そうならないのはなぜなのか?
 たとえば、鱧を鮨のコースに組み入れるとしたら、常識的には前菜ものだ。冷えた前菜の中で八寸に盛る、あるいはおしのぎでつないだり、あるいは棒寿司ぼうずしでいただいたり。いずれにしろ、そこに温かさはない。しかし、日本料理として考えた時、自分が板前ならば、冷たくなった鱧を本当に出したいと思うだろうか?
 『鱧のおいしさってなんだろうね?』勝は自分自身に問いかける。
 あっさりした肉のスープと脂のコク。これを温かいうちにいただくのが一番。旬の時期の鱧、それも最高に肉まわりの良い鱧を目の前で捌き、調理して、その身からあふれるうまさが“つゆだく”になったその時、炊き上がった飯に酢を仕込んでから少し時間が経った、ややドライ気味のシャリをからめる。すると、温かい鱧の温度感、ジューシーさとのコントラストを愉しんでいただける。
 冷たい鱧でも疑念を持たないお客さんに、本当のそのおいしさ……淡路の鱧の良さを知っていただく。蒸し焼きにした最高の鱧の味わいをお鮨として愉しんでもらいたい。素材と調理の業がぴったりマッチしてこその最高の味わい。これ以上の良い鱧が無いのだとしたら、ぜひお熱いうちに食べていただきたい。
 勝にとって、一貫の握りは一品のお皿。そこにどんな意図を込めたのか。その素材はどんな出所のネタなのか。面白おかしく笑顔を絶やさず、その味の秘訣までをも語りかけながら、味の旋律がかなでられ、次々と出てくるすばらしい素材がリズムを生み出していく。
 どのような言葉にも表と裏、ふたつの捉え方がある。
 “伝統”という言葉。その中には時代ごとに先達が創意工夫を重ねた、長い時間を経て完成された作法、技術といったニュアンスが含まれる。
 しかしいっぽうで、少し古めかしい、いま現在を直接的に反映したものではない、といったやや後ろ向きな捉え方もできようというものだ。
 “伝統”という少々重苦しい言葉を“あたりまえ”と置き換えてみると、“こうすることがあたりまえ”というカタチを崩すことが、いつの間にかその業界において禁忌タブーとなる。“伝統”という耳あたりの良い言葉のもとに、新しい価値を求めての挑戦が行なわれなくなり、それは文化としての停滞をもたらす。
 これは食文化以外の、ビジネスや技術開発などのジャンルでもよくあることだ。
 長い時間をかけて醸成されてきた“あたりまえ”は、そこさえ踏み外さなければ失敗しないという安心感をもたらす。しかし、長く“あたりまえ”に頼り続けていると周囲の環境の変化に追従できなくなり、いつしか時代とのギャップの大きさが限界を迎えて、新たな挑戦者によるイノベーションが引き起こされる。
 “伝統を破る”ということは失敗を恐れないことであり、新しい価値を求めての挑戦でもあるが、いっぽうで失敗するリスクも高い。それでも挑戦するからには、自分自身の中で絶対的な価値評価を行なえるという自信が無ければ決してできない。
 時代が変われば料理も変わる。技術が進化することで食材の保存法、調理法は変わる。調味料や、そもそもの食材の“捕獲法”という上流の技術も変化していく。そのような中で料理は進化してきた。ならば、技術が世の中を大きく変えている現代では、新しい味を模索することは、すべての現役調理師のつとめなのではないか。
 勝は、自分の中にあるすべての“常識”を捨て去ることに決めた。
「江戸前伝統の手法を守りながらも、すべての常識を疑うことで、よりすばらしい鮨を生み出せるなら、そこに禁じ手なんてあるはずもない。伝統も大切だが、お客さんにおいしい鮨を提供する心こそがその大本にある。その基本に比べたら、鮨の枠組みがどうのといったこだわり、常識は新たなる発見を見失わせるだけのものだ」
 そもそも「江戸前鮨」とは、“魚を新鮮な状態で保存する技術がまだ無かった時代”に確立された手法である(その対極が、現代の冷蔵庫・冷凍庫の存在を前提にした「お刺身み寿司」とも言える)。
 元々は、(冷蔵庫・冷凍庫無しで)魚介類を保存するため、酢や塩を工夫して飯と組み合わせることで料理とする「押し寿司木枠きわく」というのが、鮨の始まりだとする説がある。
 それを発展させ、“前海まえうみ(=江戸湾)”で捕れた魚をよりおいしくいただくため、魚介類・米・塩・酢・醤油の調和を絶妙に取ることで、保存をきかせつつ、まるで“一皿の日本料理”のように完成された一貫として“手で握る”ようになったのが、江戸前鮨だというのだ。
 勝の鮨は、この江戸前鮨の技法を踏襲しながらも、新しさを“一貫の中で”表現する。それはあたかも、他の分野の料理人が、時代の変化を背景に“新しい一皿”を生み出すようなものだ。
 江戸前鮨の技法が成熟する中で完成されてきた手法――勝はその成熟の経緯を遡り、基本から組み立て直し、独自の手法へと昇華させて“新しい一貫ひとさら”へと着地させた鮨を、お客に出す。
 その道のプロ、あるいは江戸前鮨に少々詳しい食通が体験すれば、ひとつひとつの鮨、ひとつひとつの仕事の流れの中に、驚きが隠されていることに気付くはずだ。
 さらに勝は、そうした工夫――どのように考えてその一貫を作り上げているのか――を一切隠そうとはしない。すべて包み隠さず、軽妙な言葉にさらりと乗せて、その秘密をお客に伝えていく。
 長年培ってきた業とノウハウ――どこの漁師に、どんな風に魚を捕って処理をしてもらい、それをどのように調理するのか、そして、その気持ちの本当のところはこんなところにあるんだよ――と、まるで学校の先生が教えるように喋り続ける初音の親方である。そこには多くの同業者もやってくる。
 明治から続く老舗ながら、跡取りを持たない、跡を取らせる弟子も取っていない蒲田 初音鮨は、鮨職人が店を訪ねてくると、面白おかしく話をしつつ、しかし、その中に“俺はこういうやり方で鮨を食わせる”という業と考えを折り込みながら、包み隠すことなくすべてを目の前で披露してみせる。自分が持っているすべてを、新しい世代の若い職人に知ってもらい、それを自分の中で消化し、新しい鮨にしてほしい。そんな願いを持って接する勝の仕事ぶりを勉強しに行きたいという若い鮨職人は少なくない。

書籍

『蒲田 初音鮨物語』

本田 雅一

定価 1620円(本体1500円+税)

発売日:2019年01月25日

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