去る10月4日、国民的人気ドラマ「水戸黄門」がBS-TBSにて再スタートしました。庶民の味方、「水戸黄門」として昔も今も愛され続けている徳川光圀とはどのような人物だったのでしょうか?
水戸史学会理事・事務局長、但野正弘さんに「水戸黄門」こと徳川光圀の実像について解説して頂きました。

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<本記事は「光圀伝」大河ドラマ化推進協議会発行の小冊子「水戸黄門ってどんな人 徳川光圀公の生涯」を転載したものです。>
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【6】 水戸葵の「尊王・敬幕」

 父の頼房公が、天皇・皇室に対して尊崇の念を強く抱いていたことは、水戸那珂(なか)川産の一番鮭を寛永五年(一六二八)から毎年、禁裏(きんり)(朝廷)へ献上していたことからも窺えますが、その尊王精神は、子息光圀公にも受け継がれてゆきました。
 父頼房公や、かつて宮中に仕えていた三木夫人の武佐(むさ)などによって育まれた心情的な光圀公の尊王心は、18歳の反省立志以後、公卿(くげ)冷泉為景(れいぜいためかげ)との親密な交友関係を通じて深められ、また『大日本史の編纂という歴史研究によって学問的に確立され、大きく飛躍したと言ってよいでしょう。
 では光圀公は、京都の天皇・皇室と徳川将軍との関係を、どのように見ていたのでありましょうか。光圀公の伝記・逸話を書き記した『桃源遺事』には、次のように記されています。
我が主君は天子(てんし)也。今将軍ハ我が宗室(そうしつ)也。
(割註 宗室とハ親類頭(しんるいがしら)也)あしく了簡仕、
取違へ申すまじき由、・・・
 我々が御主君と仰ぐのは、京都の天子=天皇であります。現今(江戸時代)の将軍は我々の親戚頭です。自分(光圀)は天皇の臣下であって将軍家の家臣ではない。将軍家に対しては、親戚頭として敬意を表すべきであります。
 つまり水戸葵の基本的立場は「尊王敬幕(けいばく)」でありまして、藤田東湖(とうこ)もその著『常陸帯(ひたちおび)』の中に
朝廷を尊び 幕府を敬ひ給ふ事
と明記しております。
 このことは代々の藩主を経て九代斉昭公へ、そして、その子で十五代将軍となった慶喜公へと、脈々と伝えられていったのでありました。
 尚、水戸といえば、一般的には「尊王攘夷」という言葉が、その主張の代名詞のように扱われていますが、右の言葉が四字熟語として使用された最初は『弘道館記』(天保九年・一八三八、徳川斉昭公名で発表、草案は藤田東湖)の中でありました。江戸後期の文化文政期頃から、欧米列強のアジア・太平洋地域への軍事的圧力が強まり、わが国もその脅威にさらされるに至り、太平洋に面した水戸藩は特に危機感を強めつつありました。
 つまり、日本国民としては、尊王の精神に帰一(きいつ)し、日本国家としては、外敵を排除して独立を保全する、という国の内外双方に対する理念を掲げたものでありました。
 これに対し「尊王・敬幕」は国内的な日本人自身の理念として掲げられたものと言えましょう。

【7】 光圀公の食通

 話題を少々変えまして、光圀公は青年時代からかなりの食通であり、食事文化に対する造詣が深かった(但し、グルメ=美食家という意味ではありません)という話をしましょう。
 ある時、光圀公が別荘の湊御殿(みなとごてん)(旧那珂湊(なかみなと)村、現ひたちなか市。高台の夤賓閣(いんひんかく)ではなく、移転以前の海岸近くの御殿?)に滞在中の話です。
 原忠右衛門昌道(はらちゅうえもんまさみち)という家臣が、用事があって、 御殿にやってきました。そして一通り話がすんだあと、光圀公は「暑気(しょき)の時大儀であった。華蔵院(けぞういん)という寺から麦粉を貰ったので、手打ちの冷麦を馳走しよう。そこで見物しておれ」と言われて、道具を準備し打ち始めたが、粉をこね打つ拍子、麺を切る庖丁さばきなど実に見事で、忠右衛門も恐れ入ってしまいました。すると光圀公は、
●「饂飩(うどん)と冷麦とは、塩加減バかりのものなり。・・・我若き時、江戸浅草辺にてこれを造るを見て、度々その真似をしてその拍子を覚へて、 後しバしバ手製したり。食物の事ハ自ら製して試むべきことなり」
 「魚鳥(ぎょちょう)の料理ハ、庖丁人(ほうちょうにん)どもにならひたり
と語り、冷麦を茹でて馳走してくれたそうです。
 藩主時代に帰国した折りや西山の山荘に隠居された後は、実に頻繁に領内視察を行い領民達と触れ合って、地域の特産物を試食したり、料理に舌鼓をうって楽しまれたようです。例えば、
 ◇初霜漬鮭(はつしもづけさけ)鮟鱇共酢(あんこうともず)川尻肉醤(かわじりたたき)・鯨料理など
 ◇朱舜水(しゅしゅんすい)提供の料理(孔子を祭る釈奠(せきてん)の供物
  點到酒(テントウシュ)白牛酪(ハクギュウラク)餃子(キャウツウ)火腿(ブタノラカン)熇牛(コウギュウ)など
◆今日、光圀公所縁の料理は「黄門料理」の名称 で、水戸市内の数店舗で提供されています。

【8】 「光は暫らく西山の峰に留まる」

 藩主を三十年間勤めた光圀公は、元禄三年(一六九〇)63歳、十月十四日に隠居し、翌日、参議から権中納言(唐時代の官職名「黄門侍郎」に相当)に昇任しました。現役引退後の昇任でした。
 三代藩主には、前もって養子に迎えられていた綱条公(兄の高松藩主松平頼重公の次男)が就任しました。
 次いで、翌四年五月九日、常陸太田(現、茨城県常陸太田市新宿町(あらじゅく))の「西山御殿」(西山の山荘)に隠棲し、以後十年間、西山の御老公・水戸の黄門様として人々から親しまれ、悠々自適の生活を送りました。
 「西山御殿」(西山の山荘)の名称は、太田の地名「西山(にしやま)」と共に、光圀公が生涯を通じて敬慕した伯夷叔斉兄弟が亡くなった土地の名「首陽山(しゅようざん)」の別名「西山(せいざん)」に由来するものでありました。
 尚、同年十月には「梅里先生墓(ばいりせんせいはか)」という寿蔵碑(じゅぞうひ)(生前に建てる墓)を建立し、自らの生涯と感慨を碑陰(ひいん)に刻みました。その碑文の末尾には、
月は瑞龍(ずいりゅう)の雲に隠ると(いえど)も、光は暫く西山の峰に留まる。碑を建て銘を(ろく)する者は誰ぞ。源光圀、字は子龍
と記されたのでありました。
 月=光圀という人間は、父母の眠る瑞龍山の墓所に隠れるが、光=私の心はなお西山の峰々に留まり世の中を照らし続けておりますぞ。とその霊魂の不滅を自ら宣言し、しかも末尾の署名は、「徳川光圀」ではなく、天皇の臣下としての本姓をもって「源光圀」と誌したのでありました。
「梅里先生墓」(寿蔵碑)拓本

「梅里先生墓」(寿蔵碑)拓本

 光圀公は水戸藩主に就任後、いくつかの大事業を実施されておりますが、紙数の関係で年代と事業名だけを紹介するにとどめます。



①寛文二年〜三年(一六六二〜六三)=上水道(笠原水道)の建設工事
「笠原水道」水源地

「笠原水道」水源地

②寛文六年(一六六六)〜常磐(ときわ)共有墓地・酒門(さかど)共有墓地の造成
常盤共有墓地(水戸市松本町)

常盤共有墓地(水戸市松本町)

酒門共有墓地(水戸市酒門町)

酒門共有墓地(水戸市酒門町)

③元禄元年(一六八八)大船快風丸(かいふうまる)の蝦夷地(北海道)派遣
「快風丸」模型(水戸市立博物館蔵)

「快風丸」模型(水戸市立博物館蔵)

各種の文化的事業=大日本史・釈万葉集・万葉代匠記・扶桑拾葉集・礼儀類典など
「大日本史」完成木版本(402巻)(常盤神社義烈館蔵)

「大日本史」完成木版本(402巻)(常盤神社義烈館蔵)

⑤元禄四年〜五年(一六九一〜九二)   那須国造(なすのくにのみやつこ)碑の修復・上下車塚(くるまづか)古墳の発掘
「那須国造碑」

「那須国造碑」

⑥元禄五年(一六九二) 神戸湊川「嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)」(楠木正成=楠公(なんこう(の建碑事業佐々介三郎(さっさすけさぶろう)担当
神戸湊川「楠公碑」

神戸湊川「楠公碑」

⑦元禄六年(一六九三)『救民妙薬(きゅうみんみょうやく)の撰集と配布=鈴木宗與(そうよ)担当
「救民妙薬」(木版本)

「救民妙薬」(木版本)

【9】 黄門様(光圀公)の旅の実際

 ◆全国の旅は無し、水戸領内は精力的な視察旅
 ◆藩主時代の遠出=日光東照宮。 勿来関(なこそのせき)(いわき市)。 千葉〜(江戸湾・船)〜鎌倉〜藤沢〜江ノ島〜江戸への旅。
 ◆隠居後=1〜2日(太田町内・水戸
      27〜34日などの長期間巡視旅行も。
  北は磯原・大子(だいご)方面、西は鷲子(とりのこ)馬頭(うまがしら)雲巌寺(うんがんじ)方面、南は潮来(いたこ)佐原(さわら)霞ケ浦方面
 ◆72歲の八月=久慈郡水府村(常陸太田市)の山田川で「鮎とり・水あび」を楽しむ。

【10】 一代の英雄、光圀公の薨去(こうきょ)

 元禄十三年(一七〇〇)の旧暦十二月六日に、光圀公は西山御殿において、数え年73歳の生涯を閉じられ、常陸太田の瑞龍山水戸家墓所に埋葬されて、義公という諡が贈られました。
 光圀公の側近・侍医として仕えた井上玄桐(げんとう)は、その著『玄桐筆記』の中に、光圀公について、
只々 英雄と(もうし)(たてまつ)るべし。
と、感嘆の思いをこめて書き記しています。
 その英雄光圀公を育てた、父頼房公ともども、 「水戸葵の気骨を、もう一度噛みしめてみたいものです。
                                             [完]

転載元

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「水戸黄門ってどんな人 徳川光圀公の生涯」
執筆・資料提供 : 但野 正弘(植草学園短期大学名誉教授 水戸史学会理事・事務局長)
発行 : 「光圀伝」大河ドラマ化推進協議会
発行日 : 2017年02月13日
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