2018年のはじめ、Twitterで話題になった『仙境異聞』。このたび、訳しおろしの文庫版(抄訳)を刊行しました。本連載では、その一部を限定公開!

これまでお届けしてきた試し読みですが、今回で最終回。最後にご紹介するのは、宇宙についてのお話です。天狗は空高く飛びあがることができると思われていたからでしょうか、篤胤は寅吉に対して、空のことについていろいろ質問しています。
さて、またしばし寅吉のお話に耳を傾けてみましょう――。

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月に穴あること

 私は寅吉に訊ねた。「大空からこの国の国土を見た様子はどのようなものなのか」
 寅吉は言った。「少し飛び上がってから見れば、海や川、野や山、そして人の行き交う様子までが見えて、おびただしく広く丸く見えます。
 もう少し上方へ上ってから見れば、段々と海川や野山の様子が見えなくなり、むらむらと薄青い網目を引き延ばしたかのように見えます。なおも上がっていくと、段々にそれが小さくなって、星のある辺りまで上ってから国土を見れば、光を放っていて、月よりはだいぶ大きく見えるものです」
 私は寅吉に訊ねた。「星のあるところまで行ったということは、月の様子も見たことがあるのか」
 寅吉は言った。「月の様子は近くへ寄るほどに段々と大きくなります。寒気は身を刺すように厳しく、近くへは寄り難いように思えるのを、無理をして二町(約二一八メートル)ほどに見えるところまで行って見たところ、思いのほか、暖かいものでした。
 さて、まず月の光って見えるところは国土における海のようであって、泥が混じっているように見えます。俗に、兎がもちをついているというところには、二つ三つ、穴が開いています。しかし、かなり離れて見ていたため、正しいところは定かではありません」
 これを聞いて私は、「月の光るところが国土における海のようであるということは、西洋人の考えた説にもあることで、確かにそのようにも思える。しかしながら、兎が餅をつくように見えるところに穴が開いているというのは心得がたいことだ。そこはこの国土でいうところの岳(山)のように思えるが」と言った。
 すると寅吉は笑って言った。「あなたの説は、書物に書いてあることをもっておっしゃるために、間違っているのです。私は書物に書かれたことは知りませんが、直接、近くに見て申しているのです。もっとも、師もあれを岳だとは言っていましたが、近寄って見れば、まさしく穴が二つ三つあって、その穴から月の後ろにある星が見えた注168ものです。つまり、穴があるのは疑いないことなのです」

星と大地について

 私は寅吉に訊ねた。「それでは、星はどのようなものだと理解しているのか」
 寅吉は言った。「星は、我々の国土(――訳者注。地上)から見れば、細かいものが多く並んでいるように見えますが、大空に上ってから見れば、いつも明るいゆえに、地上から見たほどには光っては見えないものです。
 空を上がるほどに、星は段々と非常に大きくなり、それらは四方・上下に何百里(一里は約三・九キロメートル)あるとも知れず、互いに遠く離れたものがおびただしい数あります。大地(――訳者注。地球のことか)もその中に交じって、どれがそれとも見分けがたくなります。
 ここでよく分からないのは、星がいかなるものなのか見てみたいと師に言ったところ、見せてやろうと言われてこの地上から見てとくに大きく見える星を目指して空へ上がりましたが、近くに寄るほどに、大きくぼうっとした気に見え、その中を通り抜けたことがあります。
 通り抜けてから遠く先のほうへ行き、振り返って見れば、もとのような星の形をしていました。そうすると、星というのは気の凝り固まったものかと思われます(原注。また、俗にいう銀漢あまのがわというものは、ただ白くおぼろおぼろとして見えて、少し水気があってその中に非常に小さな星がたくさん見えるものである)」
 私はまたこの説に納得がいかず、ちょうどその席に佐藤信淵もいたので、「あなたは天地間のことわり注169)に詳しいのだから、このことについて説明してはもらえないだろうか」と言った。
 すると佐藤が述べることには、「星の実体というのは、その質(成分)がこの地球注170と同じもので、重濁の物が凝結注171したものです。そうすると、すり抜けることができないのは、地球をすり抜けて通れないのと同じことです。
 また星が光り輝くのも、自らそれを発しているためではなく、日輪(太陽)の遍照(――訳者注。あまねく照らす光)を受けて光っているのです。しかしながら、その成分が地球と同じ物であることを以て、地球になぞらえてこれを考究するに、地球は太陽がすでに没した後も、地平下十八度のところに至るまでの間は地上にまだ薄明(――訳者注。淡い光)が残っています。
 いまだ太陽がいでざるときも、地平下十八度のところに至れば、地上はすでに光を発しています。この理は、大地球の外、おおよそ五、六百里(約二〇〇〇―二四〇〇キロメートル)位まではいわゆる風際であって、風際はことごとく半水半気であるがゆえに、その水気に太陽の光を被ることによって、光輝が発するのです。これを以て考えますと、太陽の出る前と沈んだ後には、およそ五刻(約十時間)程度は薄明があることになります。
 こうしてさらに考えますと、大地を隔たること数万里の暗いところからこれを振り返って見れば、地球もまたひとつの明星であることが分かります。かの諸々もろもろの星もまた、大地と質をひとしくする物ですから、これもまた地球のごとく、星外の周囲に数百里の半水部分があって、太陽の光を受けて光輝を発するものであれば、寅吉はきっと、師に連れられて、その半水部分を通行したのでしょう。
 しかしながら、大虚空中、すべて太陽の光が当たる以上、星を見るのは不可能です。たとえ、これをよく見ることができても、白昼の月の如くであって、遠くから見れば星だと分かっても、近づくに及んで、我らが大地と異なることなく、その光を見ることは叶わないでしょう。
 全ての星は暗夜でなければ、その光を現すことがありません。我らが大地の暗夜は地上から見れば広大なようですが、空からこれを見れば、地影の及ぶところはわずかに月輪のあるところに届くに過ぎません。山人たちがもし、大地を飛び去って星のある辺りへ至ろうとするのであれば、いずれの場所も白昼であって、我らが大地といえども、その所在が分からなくなることでしょう。
 近くにあっては金星か、あるいは水星、火星などが、日陰にある暗夜のところに至るに及んで、はじめて地球という星の光輝および、その他の星々をも見ることができるだけなのです。そうすると、星の実体をすり抜けるというのは、理(――訳者注。天地間の理)において信じがたいものです。
 ただし寅吉の言うことは、全て真実で噓を含まず、道理に符合しないことは一切ないのですから、この説においても、噓だとしてそしることはできません。必ず、金星、水星、火星などが日陰なる暗夜のところに至って、その蒙気もうきを通り過ぎたのを、星の実体をすり抜けたのだと思い、また、そこから地球が星々と同じく光るのを見たのではないでしょうか。
 またもしくは、『列子』にある、いわゆる西極の幻人注172のように、杉山山人の神通力が広大なものであって、実際に星に入っても遮られなかったものでしょうか。これもまた、私のような学問をしている者の知り得ることができない領域です」
 さらに、次のように寅吉に訊ねた。「大虚空は、いつも明るいのに、星が光って見えることはない。どういうことか」
 寅吉は言った。「この地上から、昼は星を見ることができないことをもって、そう疑いなさるのでしょうが、(原注。以下欠)」
 また、次のようにも訊ねた。「太陽はどのような成分かということを、知っているか」
 寅吉は言った。「太陽は近くに寄ろうとすると、焼けるようで寄ることができません。しかし、日眼鏡で見るとずっとよく見えるところまで上ってから見たところ、炎々たる中に、雷のようにひらめき飛んで暗く見えるために、どのような成分ということは分かりかねます。
 しかし、何かひとつの物から炎が燃え出でて注173いるように見えます。また、試みに手火をともしてみたところ、太陽の近くにおいては、さらに光がなくなり、見ているうちに火炎が次第次第に太陽に吸い寄せられるがごとく、たちまちに上っていくものでした。またそのところでは太陽を半月のように見ることも多く、小さく見えるところもありました。
 夜国のことをホツクのチウ注174といいます。太陽は団子のような大きさに見えました。太陽の見えない国もあります。そこでは、地上にいくつも穴を掘って光らせます。その国の人々の鼻は高く、口は大きく、親指が二本あります」(原注。銕胤注175が言うことには、「ホツクのチウ」とは、「北国(北極か)の中」という意味ではないか、とのこと。どうであろうか)
 私は寅吉に訊ねた。「日月(太陽・月)ともに、神々の住み給う国注176だという説を、山人たちから聞いたことはないか」
 寅吉は言った。「そうした説を聞いたことはありません」
(注釈)

168 星が見えた 現代の天体知識からすると、一見、寅吉の言う月の穴がクレーターのようにも思える。しかし寅吉はここで、月の穴からは向こう側の星が見えたと言っている。つまり、寅吉の言う穴は月を貫通していることになる。


169 天地間の理 当時の世界認識における、天上と地上を司る法則。現代で言うところの自然科学に近い観念として捉えられよう。


170 地球 この部分、原文も「地球」。


171 重濁の物が凝結 文化十年(一八一三)刊、篤胤『霊の真柱』(たまのみはしら)でも、「夜見国の質」が「重く濁れる質」だという説が展開される。そこでの「夜見国」(黄泉国)は月と同一視されている。


172 西極の幻人 『列子』(周穆王)に載る、西方の果ての国にいるという幻術師のこと。


173 炎が燃え出でて 現代の知識からすると太陽フレアに似ているようにも思える。しかし、太陽フレアの初観測は一八五九年、英の天文学者キャリントンによる。


174 ホツクのチウ 別の個所では「ホツクのヂウ」とある。銕胤の説とあわせて考えると、現代的な表記では「ホックのジュウ」になる可能性が高い。しかし、読み方が定かでないため、原文のままとした。


175 銕胤 原文「銕」。平田銕胤(かねたね)。一七九九―一八八〇。篤胤の門人だった碧川篤眞(みどりかわあつま)は篤胤の娘・千枝と結婚して養嗣子となり、平田銕胤を名乗った。銕胤は篤胤の没後、その後継者として門人たちを率いることになる。


176 神々の住み給う国 篤胤は『霊の真柱』において、本居宣長『古事記伝』巻一七の付録であった服部中庸『三大考』の説を踏まえた上で、日(太陽)が高天原、月が黄泉国に相当するという説を展開している。




いかがでしたでしょうか、『天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞』。本編には、ほかにもあっと驚くようなお話や、思わず笑ってしまう癒し系のエピソードなどがたくさん収められています。気になった方はぜひ書籍をチェックしてみてください!

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書籍

『天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞』

平田 篤胤 訳:今井 秀和

定価 950円(本体880円+税)

発売日:2018年12月22日

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