2018年11月30日(金)に、第22回「司馬遼太郎賞」(主催:公益財団法人司馬遼太郎記念財団)を受賞した、朝井まかてさんの『悪玉伝』
「従来悪人と評されることが多かった吉兵衛を主人公に事件をとらえ直し、当時の大坂商人の洒脱で粋で度胸あふれる生き様を描き出した。濡れ衣を着せられて投獄された吉兵衛のシーンは出色で、息を呑むばかりである。その中を生き抜く吉兵衛の姿に、大坂商人の心意気と懐の深さが現われていて、ラストのカタルシスにつながっている」(公式HP【贈賞理由】より一部抜粋)と、選考委員からも絶賛された歴史エンタメの最高峰です。
本作の受賞を記念して、12月23日(日)・24日(月・祝)の2日間、試し読みを実施いたします! 『悪玉伝』の「第一章 満中陰」より四節分、計44ページ(紙本換算)を無料でお読みいただけます。



 第一章 満中陰



 一



 中庭はもうとっぷりと暮れているが、篝火かがりびがそこかしこでかれ、まきぜる音が初春の川風と共に入ってくる。
 木津屋きづや吉兵衛きちべえ脇息きょうそくひじを預けながら、あくびをらした。
 芝居がはねた後の熱と気怠けだるさは、格別だ。舞台のひのきの香りや白粉おしろいの匂い、役者の台詞せりふの切れ端や客の吐息がまだからだに残っていて、かすかに波打ち続けている。
 それにしても、今夜はさすがに眠たいわ。
 昨日は新町しんまちくるわで遊び、四ツ橋よつばしの家にいったん帰って一睡もせぬうちに出てきたのだ。芝居見物は一日がかりであるので、この道頓堀どうとんぼりに面した芝居茶屋、升屋ますやに上がったのはまだ夜明け前だった。
 星が瞬く空の下を舟でくだり、道頓堀の岸に下り立つ。舟寄せ場には升屋の番頭や仲居らがすでに待ち構えており、鶏よりも甲高い声を上げた。
「木津屋様、お成りぃ」
 江戸の公方くぼう様の耳に入ったらへそを曲げはるぞと苦笑しながら、吉兵衛は暖簾のれんを潜ったものだ。
 座敷に入れば、すぐさま仲居頭が挨拶に駆けつける。
旦那だんさん、ようこそお越しやす」
「ああ、今日も世話になるで」
 心づけを弾み、おめざの餅菓子と茶でまずは一服し、その後、いつものように内着から羽織、足袋たびまですっくりと替える。若い時分から芝居小屋に通い詰めてきたので座元や役者らとも顔馴染みであるのだが、吉兵衛は客として最上の身形みなりで観るのを信条としている。今日の小袖は樺茶かばちゃ鮫小紋さめこもんで、内着の半襟は梔子くちなし色、黒縮緬くろちりめん地の羽織には井桁いげたに津の字の紋を白く染め抜いたものだ。
 特別あつらえの鏡を持ってこさせ、びんも入念に整える。目の下のくまが気になったので少し白粉をき、目尻めじりと頰には紅を薄くつけた。
 鏡の中には、三十六の男盛りの顔がある。吉兵衛のひそかな自慢であるのは、切れの長い目許めもと鼻梁びりょうの高さだ。男にしては小鼻が小さいかもしれぬが、それは良しとしている。小鼻が張っていると間抜けに見える。惜しむらくは、口の大きさだ。唇は薄いものの、目鼻の造作に比べれば口がやけに大きいような気がする。新町の遣手婆やりてに言わせればこの瑕疵かしが男の色気であるらしいのだが、それは世辞口だ。遊里ゆうりで交わされる言葉の中でまことを見つけるなど、白い烏を探すより難しい。
 吉兵衛は身づくろいを済ませ、芸妓げいこ幇間ほうかんをひきつれて小屋の桝席ますせきへと出掛けた。桟敷さじきに坐る町人が皆、「ほう」と溜息をついてこっちを見上げる。
「あれ、木津屋さんやないか」
「ああ、ほんに。さすがに、小屋の中がぱっと華やぎますな。堂に入ってはるわ」
「そら、そうや。昨日今日、のし上がった成り上がりとは、貫禄かんめが違う」
 いつものように、方々から熱のこもった眼差しが集まった。
 ゆえに吉兵衛は入念に姿を整えるのだ。芝居は幕が上がる前から始まっている。大尽だいじんたるもの、観客として坐れども芝居の一部だ。
 持ってる者は、ええ夢を見せたるのが務めや。わしらがついえを渋ったら、天下の台所は回らん。
 幕間まくあいにはこの茶屋にいったん引き揚げて昼餉ひるげを取るが、その間に座元や役者、座付き作者らが次々と顔を見せる。
「旦那さん、昨年はおおきにお引き立てを賜りまして、有難うさんでござりました。本年もよろしゅう、ご贔屓ひいきのほどをお願いいたします」
「今年も楽しみにしてるで。気張ってや」
「で、朝の芝居はいかがでごわりましたか」
 必ず評を聞きたがるので、気に入った演目は「ええ趣向やった」と大いに褒め、さほど感心しなかった芝居には「精進しいや」とねぎらう。出来の悪さは当人もわかっているので、それだけで通じるのだ。この言外の駄目出しに気づかぬ者は、どのみち舞台から消えていく。
 また眠気が差して、吉兵衛はあくびを嚙み殺した。煙管キセルを遣いたくなり、膝前ひざまえに置かれた黒漆梨地くろうるしなしじの煙草盆に目を落とす。つい手を伸ばしそうになるが、「いや、あかんのやった」と右手の指を丸めて膝の上に置き直した。
「どうぞ」
 横についた芸妓が気を利かせて煙管を差し出したが、「いや」とてのひらを立てた。
「酒にする」
 芸妓は一瞬、不思議そうに首をかしげたが、素直に「へえ」とすず片口かたくちを持ち上げる。吉兵衛はちゅっと音を立ててさかずきの中を干し、また芸妓に注がせた。
「あにさん、どないしはりましたのや」
 升屋のあるじである三郎太さぶろうたが、下座から首を伸ばしている。
 三郎太は互いが二十歳になるやならずからの遊び仲間で、かれこれ十六年ほどのつきあいだ。
「煙管、遣わはりまへんのんか。ああ、その刻み、お気に召しまへんか。ほな、ちょうどええわ、取って置きを持ってこさせまひょう。長崎から珍しい葉が入りましたのや」
 気も口もよく回り、万事にそつのない男である。升屋は道頓堀でも格の高い家の一つであるのに今も下座に坐り、しじゅう手を叩いては仲居を呼んで酒やさかなを運ばせ、馴染みの芸妓、幇間にも気持ちよく仕事をさせる。
「いや、わしはええわ。……馬場ばば様、どないだす」
 対面する源四郎げんしろうたずねてやると、それを待っていたとばかりに目尻を下げた。
「升屋の取って置きであれば、断る道理もなかろうの」
 いつもの、武士らしからぬさばけた物言いだ。
 馬場源四郎は大坂東町おおさかひがしまち奉行、稲垣いながき淡路守あわじのかみ用人ようにんで、吉兵衛や三郎太とは文人仲間である。
 大坂の者は鴻池こうのいけ大和屋やまとや泉屋いずみやといった大商人の名は知っていても、御奉行の名を知らぬ者が多い。与力や同心といった地侍とは異なって、江戸から赴任してくるからである。しじゅう人が入れ替わるので、おぼえる暇がないのだ。
 ところが稲垣淡路守は着任してから今年で十一年目、珍しく任期の長い御奉行だ。ゆえに淡路守の家臣である源四郎も大坂の気風をよくわきまえ、馴染んでいる。とくに吉兵衛と同様の学問好きであるので手持ちの書物のほとんどを貸してやり、今日は初春の芝居にも招いた。
 といっても同じ桝席では耳目を引くので席は別にして、酒宴はこの升屋に移ってからだ。学問仲間、遊び仲間とはいえ、吉兵衛は大坂でも名のある商家の主であり、源四郎は御奉行の用人職、つまり御家老だ。肩を並べて共に芝居見物をすれば、とかく世人の口の端に上る。吉兵衛は痛くもかゆくもないが、武家の源四郎は外聞の悪い振舞いは避けておかねばならない。
 三郎太が奥から持って来させたのは、南蛮渡りらしいつぼと白木の細長い箱だ。箱から取り出したのは真新しい煙管で、羅宇らおには螺鈿らでん細工で矢羽やばね重ね紋をほどこしてある。それが馬場家の家紋であるのを吉兵衛は見て取って、ちらりと三郎太に目をわせた。
 相変わらず、手回しのええことやな。
 三郎太は煙草を勧めるていを取っているが、煙管は源四郎への年始の音物いんもつとしてあらかじめ用意してあったらしい。
「どうぞ、一服つけとくれやす」
 壺の中に茶匙ちゃさじを入れて刻み煙草を皿に移し、煙管に添えた。
「ん」と源四郎は遠慮を見せず煙管を受け取り、刻みを摘まみ上げては火皿に詰めていく。火をつけて吸いつけ、ゆるりと紫煙をくゆらせた。
「なるほど、これはなかなかの逸品。沈香じんこうもかくやと思わせるのう」
「別に包みを用意してますさかい、御奉行様にもお持ち帰りください」
「それはかたじけない。殿もお歓びになる」
 昨今、幕臣、諸藩を問わず、おもだった家は大坂商人との交誼こうぎが欠かせず、用人は主要な家々に年始まわりに出るほどだ。借銀があるからである。商人の側も、公儀御用達ごようたしを願う者は老中や大奥への伝手つてを探して贈物や饗応きょうおうを欠かさない。
 しかし源四郎の主君である稲垣淡路守は、大坂に着任当時、「公方様の御改革の懐刀ふところがたな」との前評判が高かった。
 今の公方様は第八代、吉宗よしむね公で、大坂にも近い紀州きしゅう徳川とくがわ家の出である。将軍の座に就いたのは正徳しょうとく六年(一七一六)であったので、治政はかれこれ二十余年になるだろうか。米価を整え、新田開発も盛んに奨励したので「米将軍」と呼ばれ、ことに大坂では米の取引を巡って攻防があった。
 さらに「野暮将軍」との揶揄やゆめいた二ツ名もある。ともかく質素倹約が好きな御仁のようで、吉兵衛には信じられぬのだが、自身の小袖も絹を嫌って木綿、はかま小倉こくらと決めているらしい。さらにもっと信じられぬのは、公儀財政のために大奥の御女中の数を減らして「始末第一」を命じたことで、江戸はむろん、京、大坂の呉服商まで不景気風に吹かれて蒼褪あおざめた。
 ゆえに稲垣淡路守についても、市中は戦々恐々となったのだ。商人にとって、頭の固い役人ほどぎょしにくいものはないのである。だが淡路守は露骨な饗応は受けぬが、音物のすべてを送り返すといった野暮もしなかった。
 ──御志の半分のみ、有難く頂戴いたそう。
 淡路守の言伝ことづてを携えて、源四郎は各家を回った。
 ──そんな。商人がいっぺん差し出したもんを、はい、そうですかと引っ込められまへんがな。ほな、馬場様がどうぞお収めしといとくれやす。
 ──いや、さようなわけにはまいらぬ。
 ──贈物やおませんさかい、これを盾に取ってお願い事などいたしまへん。今後よろしゅう願いますとの、ただの御挨拶だす。
 こういうやりとりを重ねて、源四郎は大坂に慣れた。武士の面目を脇にさて置き、うまくつき合うすべを身につけたのだ。指南したのは、他ならぬ吉兵衛と三郎太だ。文雅の交わりが知り合う契機であったので、源四郎から「事の処し方」の相談を受けたのが始まりだ。
 今でも商人から何らかの願い上げがあった場合、まずは升屋にやってくる。
 ──御奉行の下屋敷を修繕する噂を耳にしおったようで、その材木の入札いれふだに参加させてもらいたいと申してきたのだ。
 ──それやったら、まずは吉野屋よしのやはんに話を通さんとなりまへんな。材木の入札を仕切ってるのは、代々、吉野屋はんだすさかいに。
 ──なるほど。しかし、それがしから、その吉野屋とやらに口ききをするわけにはいかぬ。
 ──おまかせください。あんじょう、お手つなぎをさせてもらいます。
 木津屋の家業は炭問屋であるのだが、この数年は商いを古参の手代にまかせ、吉兵衛自身はもっぱら学問と風雅に身を入れている。その合間の小遣い稼ぎがこの「お手つなぎ」だ。といっても、稼ぎを目当てに人の間を取り持ったことはなく、それは三郎太も同様である。
 商いの血路を見出したい者に、その手蔓てづるを教えてやっているだけのこと。事が上手く運べば、当方から何を求めずとも何がしかが懐に転がり込んでくる。おかげで源四郎も余禄を得て、大坂に来てから長年の借金を相当減らせたと安堵あんどの息を吐いていたことがある。
 そもそも、武家の家禄は米で支給されるので、「米価安べいかやす諸式高しょしきだか」が続けばたちまち家計が窮するのだ。にもかかわらず外聞を重んじるため儀礼は町人以上に煩雑で、常に音物を贈り合っている。つまり実入りが少ないわりに出ていく金子銀子が多いので、大坂、江戸を問わず、借金のない武家などほとんどないと言われているほどだ。
 幇間が屛風びょうぶの前に立ち、片膝を上げた。つつみを手に腰を振り、卑猥ひわいな踊りを始める。
 三郎太が「あにさん」と、吉兵衛の顔を誘うように見る。
「一服だけでも味おうてみたら。これ、大きな声では言えん筋から入った、蘭物らんぶつだすで」
「そそのかすなよ。せっかく、我慢してんのに」
「何でやの。何か、がんでも懸けてはりますのか」
「願にしては奇妙だの。茶断ち、塩断ちは珍しゅうないが、煙断ちとは」
 源四郎まで、怪訝けげんな顔を見せる。
「馬場様、ご冗談を。何かを断ってまで懸ける願など、わしにはおませんわ」
 吉兵衛はまた芸妓に酒を注がせ、盃に吸いついた。
 我慢や、我慢。今日で三日も我慢してるのや。あともう二日こらえたら、きっと吸いとうなくなる。
 立て続けに盃を干して、吉兵衛ははしを持った。色絵皿の上には南天の葉が敷いてあり、揚げ物がいくつも盛ってある。口に入れると衣は軽く、中はねっとりとした歯ごたえだ。
「珍しい料理やな。こんなん、初めてや」
「南蛮料理の天麩羅てんぷらだすわ」
「へえ、これも天麩羅か」
「その中身、何やと思います」
 三郎太がいたので、咀嚼そしゃくしながら考える。上方かみがたでは魚のすり身を素揚げしたものを天麩羅と呼んでいるが、そもそもは素材に衣をつけて油で揚げたもので、古くは奈良の都の頃に渡来した料理だと、物の本で読んだことがある。三郎太もおそらく何かで知って、板前に試させたのだろう。
「からすみか。……いや、そないに塩味はきつうないな。もっと甘い」
「馬場様も当ててみとくなはれ。さあ、皆もどないや。この天麩羅の中身を当てられたら、天下の名香の煙草を壺ごとお年玉にするで」
 すると芸妓らが嬌声きょうせいを上げ、吉兵衛と源四郎のそばに群がった。
「旦那さん、食べさせておくれやす」
「馬場様、わてにも」
 紅のついた口を「ああん」と開き、源四郎にねだっている。源四郎は煙管を煙草盆に置き、箸を手にした。
「それ、よいか。入れるぞ」
「ああん」
 皆、頰を上下に動かしながら、口々に「これ、お餅と違うのん」などと言う。
「いや、もっと手ぇが込んでるわ。里芋をすり下ろして、丸めたんやわ」
 源四郎も一緒になって、目を左右に動かしている。
「これは、百合根ゆりねではないかの」
 三郎太の座持ちは大したものだ。芸妓らにこうして味わわせれば、方々の座敷で吹聴ふいちょうしてくれる。
 ──升屋はんで、面白いもん食べさせてもらいましてん。
 人の口ほど、よき披露目になるものはない。升屋は芝居茶屋にしては珍しく仕出しではなく、自前の料理人を雇っている。三郎太自身の口が肥えているうえ工夫に熱心で、吉兵衛の書物蔵から持って行くのも、長崎の事物、風聞をまとめた書物だ。とくに異国の食い物に関心があるようで、今日の刻み煙草だけでなく、阿蘭陀オランダ渡りの葡萄酒ぶどうしゅ琉球りゅうきゅうの酒なども仕入れては吉兵衛や源四郎に振る舞う。
 その元手になっているのも、くだんの「お手つなぎ」の礼だ。
 とはいえ、銀子そのものを表立って受け取ることはしない。あくまでも好意で計らっているので法に触れることはないのだが、そこは念を入れ、相手もよく弁えて目立たぬ、かつ極上の品を寄越す。当方はそれを、贈物を専門に買い取る商人に売る。
 つまり幾人もの手を経て礼の品々は浄化され、銀子となって返ってくる。
 と、さっきまで踊っていた幇間が屛風の前で所在なげに突っ立っているのが見えた。吉兵衛が手招きしてやると、尾を振らんばかりに飛び寄ってくる。
「おおきに、ご相伴しょうばんあずかります」
 四つん這いになって顔を持ち上げ、「ああん」と口を開いた。乱杭歯らんぐいばあらわな口中に天麩羅を放り込んでやると、「やや。これは掛け値なしにうまい」と咀嚼する。ほどなく、「わかった」と小膝を叩いた。
「これ、干し柿だすわ」
 すると、皆が一斉に声を上げた。
「ほんまや。これ、干し柿に衣をつけて揚げてある」
「ん。たしかに、これは干し柿ぞ」
「どないだす、升屋の旦那さん。わしの舌もまんざらや、おませんやろ」
 すると三郎太は幇間に近づいて、いきなり頭を掌で張った。
「阿呆っ。お前が正解を出して、どないするねん」
「え。そやけど、わかってしもうたもんは、しようがおまへんがな」
「目の前の欲得に飛びつくんやないと、年の瀬にあれほど言うてきかせたのに、正月からこれか」
 幇間であれば、この座敷の主客、源四郎に花を持たせるのが筋だろうと、三郎太は言いたいらしい。
「そやからお前の芸は、いつまで経っても半端はんぱなんや」
「かましまへん。たとえお茶をこうとも、わしゃ、ぬしの真心が欲しいぞなあ」
 女形おんながたの声色を真似て「さ、お年玉、ちょうだい」と三郎太にしなだれかかったので、座が笑声で沸いた。
 このやりとりも、いわばお決まりの遊びなのだ。吉兵衛も源四郎と顔を見合わせて苦笑する。
 また一服つけたくなるが、そこをぐっとこらえて酒をんだ。芸妓らが屛風の前に戻り、三味線と小太鼓が始まる。まんまと上物の煙草葉をせしめた幇間が、壺を手にして踊る。
 吉兵衛は源四郎に酌をしてやり、三郎太が吉兵衛に注ぐ。三郎太も吞みながら、中庭に面した広縁の方を見やった。
「そういや、大和屋さん、遅うおますな」
「何や、今夜、来ることになってるのか」
「そうだすわ」
 大和屋惣右衛門そうえもんも長年の遊び仲間であり、家業は諸藩の蔵屋敷が並ぶ中之島なかのしまでも指折りの両替商だ。しかも吉兵衛にとっては、遠い縁戚えんせきでもある。
 吉兵衛はそもそも、堀江ほりえ吉野屋よしのや町のまき問屋、辰巳屋たつみやに生まれた。当主、久左衛門くざえもんは実兄で、木津屋は亡くなった父親の生家だ。父は自身の生家が跡継ぎに恵まれぬのを見て取るや、次男である吉兵衛を養子に出した。世間にはよくある養子縁組で、吉兵衛は十三歳の時、持参金三千両と共に木津屋に入った。
「ちょうど昨日、天神さんの連歌れんが会でお目にかかりましたさかい、明日、かくかくしかじかとお話し申したら、ぜひ馬場様とあにさんにお目にかけたい図譜があると言わはったんで、ほな、芝居もどないだす、ええ席、ご用意しますでとお誘いしたんだす。夕刻までは他用があるさかい、夜に顔を出すわと言うてなさったんだすがな」
 しかしもうそろそろ、四ツも過ぎる時分だ。庭の篝火は小さくなっていて、火の粉が時折、ちかりと光っては闇に散る。
「今日は都合が悪なったのやろう。それにしても、何の図譜やと言うてた」
本草学ほんぞうがくと違いますか。それにしても残念なことだすわ。今夜、拝見できると思うて楽しみにしてましたんやけどな」
 本草学は自然造化じねんぞうか、つまり草木や生きもの、鉱物や土などを採集して研究する学問で、大名や大町人の間では草花や魚介、鳥のたぐいを絵師に描かせ、それに講釈を加えて図譜にするのが流行っている。貝原かいばら益軒えきけんら学者が先鞭せんべんをつけたのだが、流行のきっかけは何といっても当代の公方である吉宗公が作ったと、吉兵衛は思っている。
 野暮将軍と陰口を叩かれはするが、享保きょうほう五年(一七二〇)に蘭書の輸入禁止を緩和した将軍でもあるのだ。そればかりか、大岡おおおか越前守えちぜんのかみという、諸国にその名を知られた、むろんこの大坂でもまっとうな町人であれば一度は耳にしたことがある寺社奉行の配下の学者に「蘭語を習得するよう、お命じになったらしい」と、源四郎に聞いた。
 ──おそれながら文字にうとく、学問が大の苦手との噂が根強い上様だが、いや、それはおそらく真であるようなのだが、海外の文物への興味はお強うての。じつはなかなかの蘭癖らんぺきであらせられるらしい。
 源四郎は少し誇らしげに、胸を張ったものだ。いつもは吉兵衛らに親しく交わって身分の違いもあまり感じさせぬほどなのだが、その時ばかりは少し隔てを感じた。
 大坂者にとって、やはり江戸は遠い。公方様や大岡越前守の名を出されても雲の彼方の人々だ。
 いっぺんでええから、江戸に下ってみたい。
 長年、そう願っているのだが、それを三郎太や源四郎の前で口に出したことはない。「ほな、行きはったらよろしがな。江戸なんぞ、東海道を下ったらすぐだすで」と、気安く勧められるのは目に見えているからだ。たしかに、今どき、江戸の土を踏んだことがない文人など滅多といない。皆、江戸のみならず、諸国を旅しているご時世だ。
 だが、吉兵衛は旅ができない。
 かつては三万両ほどあった木津屋の身代は、ついえる寸前なのである。長年の遊蕩ゆうとうと学問がもとであるのは己でも承知しているが、仲間の前で取り繕うにもそろそろ限界がきていた。
 いつのまにか源四郎が芸妓らと並んで踊っている。三郎太はまたも幇間と軽口を叩き合い、吞み比べを始めた。
 辛気しんき臭い面持ちになりかけた己に気がついて、吉兵衛は羽織のひもほどいた。
 阿呆らし。芝居茶屋で銭金のことを考えるなんぞ、興醒きょうざめもええとこや。
 背後にばさりと放るように脱ぎ捨てる。
「さあさ、踊るで」
「よう、待ってましたで。木津屋、天下一ッ」
 吉兵衛は腕を振り上げ、かかとをととんと踏み鳴らした。

書籍

『悪玉伝』

朝井 まかて

定価 1728円(本体1600円+税)

発売日:2018年07月27日

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