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◎ハラハラする!1位

常識外れのマル暴刑事と極道のプライドを賭けた闘い。
2018年映画化で話題の警察小説。
 

   プロローグ


 呉原くれはら東署の会議室は、殺気立っていた。
 ドアの外には呉原市暴力団抗争事件対策本部、と書かれた紙が貼られている。
 部屋には七十名近い捜査員が集結していた。所轄の東署副署長をはじめとする幹部、暴力団係の係員と各部署から搔き集められた署員、県警捜査四課暴力団担当の捜査員ならびに管区機動隊員だ。みな、闘技開始を前にした闘犬のような面構えで、部屋の前方を見つめている。
 副署長の訓示が終わり、捜査の指揮をとる捜査二課長が立ち上がった。
 課長は睨むように目を細め、椅子に座る捜査員たちを見やった。
「いま、副署長からの訓示にもあったように、東署管内では組織暴力犯罪が多発している。拳銃不法所持、大麻、覚せい剤の使用および売買、違法賭博などが日常的に行われ、暴力団同士の抗争事件が頻発している状態だ。やつらのせいで治安は乱れ、善良な市民の安全が脅かされている。実際、二週間ほど前に、一般市民が発砲事件に巻き込まれ、尊い命を落とした。悲劇を未然に防げなかった我々の責任は重い。しかし──」
 語気を強め、言葉を区切る。
「やつらの暴挙も、今日で、しまいじゃ」
 捜査員たちの表情が、さらに引き締まる。なかには、緊張のためか唾を飲み込んでいる者もいる。
 呉原東署に置かれた呉原市暴力団抗争事件対策本部は、暴力団関連事務所の一斉捜索を計画していた。いま行われている会議は、最終の打ち合わせだ。
 課長は家宅捜索ガサイレの手筈を念入りに説明すると、目の前にある長机に両手をつき、身を乗り出した。
「これだけ大掛かりな捕り物じゃ。相手が大人しゅうしとるはずがない。万が一のこともある。念のため各自、防弾チョッキを装着するように」
 防弾チョッキ、という言葉に部屋の空気が一気にきな臭くなる。課長は捜査員たちをねめつけた。
「ええか。組員をひとりでも多く引致しろ。公務執行妨害、銃刀法違反、麻薬所持、賭博場開張図利とり、なんでもええ。今回のガサ入れでできるだけ多くの引きネタを摑むんじゃ。やつらを片っ端から刑務所へぶち込んだれ!」
 課長は腕時計で時間を確認した。朝の六時五十分。七時に署を出発する計画になっている。
 課長は長机に両の手を強く叩きつけると、捜査員たちを激励した。
「この一斉捜査には、警察の面子メンツがかかっとる。腹ァ括ってやっちゃれい!」
 課長の怒声にも似た号令を合図に、捜査員たちは一斉に立ち上がった。部屋の隅に置かれている段ボールから、防弾チョッキを摑み会議室を出ていく。
 捜査員たちが慌ただしく動くなか、ひとりだけ身じろぎしない男がいた。部屋の後方で、椅子の背にもたれている。
 若い刑事が、悠長に構えている男に駆け寄った。
「班長、どうぞ」
 差し出した刑事の右手には、防弾チョッキがあった。左手には自分用のチョッキを持っている。
 班長と呼ばれた男は、ジッポーのライターを手で転がしながら、余裕の笑みを浮かべている。
「そうくな。慌てる乞食は貰いが少ない言うじゃろうが」
「いや、しかし……うちの班の者はみな、もう駐車場で待機しています」
 出遅れて、他の班に手柄をとられることを危惧しているのだろう。かといって、上司に苦言を呈することもできず、若い刑事は口ごもった。
 男は、部下の心内を察しているらしく、諭すように言った。
「組長の本宅や組の事務所は、他のもんに任せちょったらええ。どっちも所詮、城でいうたら二の丸、三の丸じゃ。わしらが狙うんは本丸よ」
「本丸、ですか」
 部下は怪訝な表情を浮かべた。本丸がなにを意味するのかわからない、といった顔だ。
 男はジッポーのライターの蓋を、開けては閉め、閉めては開けた。辺りに、カチカチという小気味良い音が響く。ジッポーには、狼の絵柄が彫り込まれていた。
 男は蓋を閉じると、彫り込まれた狼の絵柄を、いとおしげに手で擦り、つぶやくように言う。
「いまどき本宅や事務所に、道具なんか置いとりゃあせん。殴り込みに備えて身につけちょるかもしれんが、さて、それもどうかのう」
「どういうことでしょう」
 男は声を潜めた。
「今日の手入れがむこうに……」
 男は言いかけてやめ、「まあ、そりゃあ、ええ」と苦虫を嚙み潰したかのように、唇を歪めた。
 部下は目を見開くと、眉根を寄せて囁いた。
「漏れちょる……いう、ことですか」
 うーん──男は呻きながら曖昧に首を振り、語気を強めた。
「どのみち、道具は組の武器庫に置いちょる。秘密の隠し場所っちゅうやつよ」
 部下は興奮した様子で、身を乗り出した。
「その場所を、班長は御存じなんですか」
 男はライターから部下に目を移すと、片手でジッポーの蓋を開いた。
「まあ、の」
 部下の顔が見る間に紅潮する。
 男はライターの蓋を勢いよく閉じると、ズボンのポケットに入れて立ち上がった。
「行くぞ」
 部下が手にしている防弾チョッキには目もくれず、男はまっすぐ出口へ向かった。
 
 

   一章


──日誌
昭和六十三年六月十三日。呉原東署捜査二課配属初日。
午後一時半より、大上おおがみ巡査部長と管区パトロール。
午後一時四十分。赤石あかいし通りパチンコ店『日の丸』。
午後六時半。尾谷おだに組事務所を訪ねる。尾谷組若頭、一之瀬守孝いちのせもりたかから、加古村こせむら組系金融会社社員失踪事件について情報収集。
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午後八時。さかえ通り「小料理や 志乃しの」。

       (一)

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