「小説 野性時代」で好評を博した連載小説を、単行本刊行に伴い限定公開! ある愛のため、命がけで新選組を脱した男のロード・ノベル――切なくて狂おしい「東山版」新選組小説をお楽しみください。
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>>第13回「角屋の乱酔」
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 近藤が八木邸に引き取ると、蓮八はほかの隊士たちと顔を見合わせてしばし途方に暮れた。芹沢を擁護する者あれば「なるほど、なるほど」と頷き、芹沢を非難する者あれば「それも一理ある」と相槌を打ち、沖田の冗談に憤慨する者あれば「あの態度は如何いかがなものか」と同調し、沖田の冗談を笑い飛ばす者あれば一緒になって笑った。
 そのうちに己というものを思い出し、だんだん腹が立ってきた。尽忠報国にも尊王攘夷にも興味などない。露ほども。これまでもなかったし、これからだってそうだ。そんなものは餓えたことがない奴等の戯言だ。たったひとりを守りぬくことよりも、見も知らぬ大勢を守るほうが甲斐があると見込み違いした甘ったれどもめ。
 京で暮らしたこの三月みつきほどが、煙のように消え失せる。祐天ゆうてん一家に身を寄せた年月を跨ぎ越し、蓮八はいつしかウサギのふたつ名を頂戴した頃に立ち返っていくのだった。産毛の一本一本にまで気を張っていたあの頃に。
 夜が更け、出口のない議論にもんだ隊士たちが各々の寝所へ引き揚げると、蓮八はかわやへ行って用を足し、ついでに表長屋の脇に立つ大きなくすのきの陰にたたずんで星空を見上げた。
 頭にこびりついて離れないのは、三月と四月に処断された殿内義雄とのうちよしお家里次郎いえさとつぐおのことだった。浪士組に身を寄せていれば、おのずと芹沢一党と近藤一党の対立は見えてくる。しかしほんの数カ月前までは芹沢・近藤一派と、殿内・家里一派に分かれていたのである。
 少数派の殿内らは芹沢らと対抗すべく、勢力の拡大を図った。すなわち、近隣諸国に同志を募った。それが芹沢と近藤らの逆鱗に触れ、殿内は斬殺、家里は詰め腹を切らされたのだった。
 蓮八はこの哀れなふたりのむくろを目にしたわけではない。流言に耳をたぶらかされただけである。しかし、それで充分だった。真相はどうあれ、殿内と家里が亡き者にされたのは事実なのだから。
 みただれた浪士組の暗部を垣間見たような気がした。芹沢も近藤も力に餓えている。そして奴等は、金屏風きんびょうぶのように飾っておくために力を欲しているわけではない。浪士組にはあからさまなことわりがある。切った張ったの渡世で骨身に染みた理――ここもけっきょく腕の立つ奴、情け容赦ねェ奴、命知らずの大馬鹿野郎がでけェ顔してのさばってやがる。
 風はなく、朧月おぼろづきに雲がかかっていた。
 蓮八は何度か大きく息をついてから庭を横切り、裏口から坊城ぼうじょう通りに出た。野辺にころがる骸と成り果てた己の姿をふり払えないまま、八木邸までとぼとぼ歩き、庭の隅に切ってあるくぐり戸をかいくぐった。これからやることがバレりゃ、間違いなく切腹だ。バレなくても、追っ手に斬り殺される。しかし、退路はもう己で断っていた。ぶるっと武者震いが走った。
 縁側から母屋へ上がる。誰もいない。しばし逡巡しゅんじゅんし、沓脱石くつぬぎいしに脱いだ草履を取り上げて懐に収めた。
 庭に面した奥の間とつぎの中の間に芹沢は、新見錦、野口健司のぐちけんじ平山五郎ひらやまごろう平間重助ひらまじゅうすけらとともに寝泊まりしている。奥の間のとなりが八木家の人々の寝所である。芹沢一党は出が武士ということで、元は農民の近藤らとは寝食を異にしている。つまり、近藤がここに踏みこんでくることはまずない。少なくとも、今夜は。新見らも今頃は角屋に駆けつけているだろう。
 ふすまは開け放たれており、ガランとした奥の間から本玄関が見とおせた。殺風景な部屋で、一輪挿しどころか、掛け軸のひとつもない。違い棚に手拭が丸めて放りこんである。無粋な芹沢一党らしい。障子窓を透かして射しこむ淡い月光が畳の上に落ちている。その光の先に漆塗りの桐箪笥、部屋の隅には折りたたまれた寝具と意匠を凝らした長持があるばかりであった。
 心は落ち着いていた。隣室から物音がしても、蓮八はいっさい動じなかった。それどころか、わざと物音を立てさえした。堂々とした物音であれば、かえって怪しまれない。盗っ人稼業のイロハのイだ。
 まずは箪笥の抽斗ひきだしから取りかかった。上段からひとつずつ開けていったが、中身は空か、空のほうがましだと思えるガラクタしか入っていない。衣類があればいちいち触れたり、手を差しこんだりした。つぎに長持の蓋を持ち上げたが、ここもやはり空振りだった。寝具のなかにも隠していない。
 やっぱり噂にすぎなかったか。部屋の真ん中に立ち尽くした蓮八は、とくに落胆することもなくそう思った。そりゃそうだよな。
 見切りをつけて縁側から庭に跳び下りようとしたとき、バタッという小さな物音がした。目を凝らすと、箪笥の上に鼠が一匹いた。鼠はしばらく箪笥の上をうろつき回っていたが、やがてまた土壁の柱をスルスルとのぼって天井板の破れ目に消えていった。
「………」
 ものは試しだ。蓮八は長持を抱え上げて箪笥の横に置いた。上に立つと、ちょうど天井に手が届く。天井板をずらし、手を差し入れてゆっくりと探った。ほこりと鼠の糞が一緒に降りかかってきた。
 と、指先に触れるものがあった。
 なにか固いものが天井板の裏をひっかく。確信とともにそれを掴み取ると、天井板を戻し、それから猫のようにそっと長持から跳び下りた。
 布切れにくるまれてはいるが、ずっしりとした手応えがあった。布を開くまでもない。もしこれがそうでなかったら、きっとどこにもないだろう。蓮八はそれを懐に仕舞い、長持を元の場所へ抱えていった。
 縁側へ向かいかけたが、剣呑な声で誰何すいかされたのは、このときであった。いつの間にか、開け放ちの式台玄関の脇に黒い人影が立っていた。
「なにをしている?」ドスドスと畳を踏み鳴らして近づいてくる大男は、たしか島田魁しまだかいという浪士である。「そこは芹沢先生らの寝所だぞ」
「ああ」蓮八が驚いたのは、自分がまったく動じていないためだった。「これですよ」
 そう言って懐からひっぱり出したのは、芹沢の五連式拳銃だった。
米利堅メリケンのピストールです」事もなげに言ってのけた。「清国しんこくあたりを経由して入ってくるんでしょう。近頃はこういうのが出回ってんですよ」
 嘘ではない。祐天仙之助せんのすけも似たやつを持っている。
「め、米利堅のピストール……」島田がたじろぐ。「して、なぜお主がそれを?」
「今日、芹沢先生が花街でもめ事を起こしたのはご存知ですか?」
「無論」
「さっき新見さんに仰せつかりました」蓮八は臆することなく言った。「これを芹沢先生に届けてほしいと」
 島田が訝しげに目をすがめた。「近藤さんは承知しているのか?」
「さあ、俺にゃ分かりません」
「なに?」
「俺ら下っ端は言われたことをやるだけなんで」
 薄闇のなかで、ふたりの視線が交差した。島田の目は、真っ赤にけた銅のようにどろりとしていた。
 蓮八は会釈し、そのまま島田の横をすり抜けた。このときばかりは、心の臓が早鐘を打った。行き違ったときには自分の首が胴から斬り離される画が見えたし、とおりすぎたあとは背中を袈裟斬けさぎりにされる衝撃に備えた。中の間、本玄関をとおりぬけ、そのまま裸足で砂利敷の地面に降り立つ。草履を履く暇はなかった。そのまま裸足で表門から八木邸を出たところで、懐から草履を取り出して履いた。
 坊城通りを進み、綾小路あやのこうじ通りで右に折れ、やがて前川邸も後方に遠ざかっていったが、途中一度もふり向かなかった。大男総身に知恵がまわりかね。抜刀した島田が追いかけてくるようなことはなかった。
 とにかく、東を目指す。
 雲が切れ、月が皓々こうこうと輝き、江戸までの道を照らしていた。
 
(このつづきは本編でお楽しみください)
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<初出:「小説 野性時代」2017年12月号~2018年4月号>

<このコンテンツは、「小説 野性時代」2017年12月号から2018年9月号まで掲載された連載の前半部分を、単行本化を記念して18年11月末まで、期間限定で毎週更新するものです。単行本『夜汐』の発売は11月下旬を予定しております。また、本コンテンツは19年1月末まで掲載の予定です。>

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書籍

「小説 野性時代 第172号 2018年3月号」

小説野性時代編集部

定価 860円(本体796円+税)

発売日:2018年02月09日

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    書籍

    『夜汐』

    東山 彰良

    定価 1728円(本体1600円+税)

    発売日:2018年11月28日

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