佐藤正午さんが『月の満ち欠け』で第157回直木賞を受賞されました。
直木賞受賞を記念しまして、カドブンでは佐藤正午さんの角川文庫作品の試し読みを3週連続で公開いたします。
本日8月29日(火)は『個人教授』を公開いたします。
この機会に「小説巧者の真髄を味わえる極上の恋愛小説」をぜひお楽しみください。

 1 教授が喋りぼくが聞き取る

 男にとってこの世でいちばん頭の痛い存在は妊娠した女である。ある日とつぜん呼び出され報告を受けたわれわれは、まず顔の表情づくりに腐心しなければならない。もちろん無邪気な微笑など浮べてお茶をにごすべきではないし、かといって、いきなり暗く眉をひそめるのも軽率であろう。ここは困難だけれどもできるだけ曖昧な表情を保ち、眼と眼を合せるのを極力、避けて、一二度うなずいてみせるというあたりに落ち着かせておく。つらいところだ。その間に相手に気づかれることなく生唾を呑み下すという技巧も要求される。沈黙が長びくといらぬ揉め事のきっかけにならないとも限らない。もし呼び出された場所が運良く喫茶店であれば、チーズ・ケーキは欲しくはないかとか、いま頼めばコーヒーとセット料金にしてもらえるかもしれないとか、質問や無駄口を発しながら冷や汗を拭うこともできる。それからコップの水でのどをうるおしてさりげなく、自然に、予定日を訊ねなければならない。その答にも、さきほどと同じ要領でうなずかなければならない。疲れてかなわない。が、結論はひとまず先へ延ばすべきなのだ。先といったって一ケ月も二ケ月も先というわけにはお互いの都合でいかない。翌々日からやのあさってあたりが限度である。一人になると、われわれは思いあたる。実は何より先に肝心な点、すなわちあちらの妊娠は産婦人科の尿検査の結果が陽性と出ているから否定できず、こちらの身におぼえはある、にしても果して今回の受精の原因をつくったのが自分であるかどうかということに。この問題は最初の夜をまるまる使って検討してみなければならない。予定の日から指を折って引き算し、指を立てて足し算で確かめ、ようやく見当をつけた期間の記憶を掘りおこしにかからなければならない。われわれは仰むけに寝ころがって天井の木目をながめる。起きあがってあぐらをかき、眉を寄せ眼を細め、親指の爪を噛む。われわれは思い出さなければならない。数ケ月まえ自分のとった相手への冷たい言動や、幾つかの裏切り行為を。想像しなければならない。相手が一人で過したはずの厖大(ぼうだい)な時間の量と、裏切りの可能性について。味わわなければならない。根拠も裏付けもない疑惑にまつわる嫉妬を。われわれは明け方まで寝返りを打ちつづけることになる。しかし結局は無駄なのだ。なぜなら、小さな疑いはいつまでも消えないからである。根拠も裏付けもない代り、その疑惑を晴らす方法もどこにもないからである。男と女が手を握りあって受精の瞬間に立ちあうことはできない。妊娠した女は永遠に男から疑われ、男は永遠に妊娠した女を嫉妬しつづけることになるであろう。ここでわれわれは次の夜を用いて、相手の妊娠を相手だけの問題ではなく、一人の女と複数の男との問題でもなく、彼女と私との問題としてとらえることを、自分じしんに納得させざるを得ない。つまりあのときのあれがいけなかったのだ。相手が危険性を主張するにもかかわらず適切な処置を怠るのが、酔ったわれわれの常である。こうして、残された第三の夜をむかえることになる。われわれは心を決め、ただちに相場に見合う金の準備にかからなければならない。あした相手を前にして発揮する演技力にみがきをかけ、効果のありそうな言葉を集めなければならない。シナリオを寸劇風にまとめ、自分のパートのエクササイズに励まなければならない。相手の涙を覚悟し、地味なハンカチを用意しなければならない。かつての経験をいかして利用できる医者を頭の隅に置くか、あるいはNTTのタウンページを開いて適当な場所の医院をさがし爪で印を付けなければならない。こんなふうに、男にとってこの世でいちばん頭の痛い存在は妊娠した女である。われわれはふだん使いつけない脳みそを三日三晩フルに使用し、考えに考えぬかなければならないのだ。あげくに、当日のやっかいさがまだ残っている。相手の肩を抱いてタクシーに乗せるところまで何が何でも持っていかなければならない。運転手に行き先を告げ、黙りこんで相手の手を握り、到着するまでの気まずい時間に耐えなければならない。そのときわれわれは気づくであろう。以前にも同じ相手と同じように、このようにしてタクシーに乗りこんだことがあると。しかし相手の手はこんなに冷たく乾いてはいなかった。行き先がただ違うのである。目的地が存在を規定する。ホテルか病院か。われわれは言わなければならない。女をホテルに誘うことは難易度としてはまだ低い。女を病院に連れ込む苦労に比べれば。
 だいたい右のような内容のことを、教授は機嫌よく酔いのまわった顔つきで喋りまくっていた。といってもそれほど赤く染まってはいない。眼つきで察することができる。彼の眼はふだんから両端がすこし垂れている。うまい酒を飲むともうすこし傾斜が急になる。酒がうまいかまずいかは教授の場合、第一に懐具合によって左右される。第二に(第一との差はそんなにないのだが)、そばにすわる女性によって左右される。今夜はぼくがおごる日である。まもなく店の扉が開いて教授好みの若い娘が現われるだろう。
 教授が機嫌よく酔ったときの眼つきは、なぜかぼくの気分をやわらげる。ぼくだけではなく、周囲にいる人間の誰もを包み込んでなごやかな雰囲気にする。肩の力を抜かせ、物腰をやわらかくする。教授好みの若い娘の一人に言わせれば、酔っていなくても彼の眼つきには多分にそんな光が宿っているそうである。それを認めてもいい。ただしその光は鋭くはなくて、ぼくたちを刺さずに、撫でる。まるで冬の日溜りにいるような気分にさせる。彼のような眼つきの人間は、かつてぼくがつきあった男たちのなかにはいなかった。少なくとも、支局長や先輩や同僚のなかに見つけることはできなかった。彼らは鋭く刺すことを切札にして仕事のかたをつけ、人づきあいをこなし、女性をくどいた。彼らは追いつめる。教授は待っている。店の扉が開いて女が現われた。
「よう、遅いよおねえちゃん」
 と教授が振り向きざま声をかけた。それから笑顔になってひらひら手招きをする。断るのが遅れたが、教授はいわゆる教授ではない。ぼくがつけた綽名(あだな)である。
 女は板張りの床にヒールの音をたててカウンター席へ歩み寄り、教授の左隣の椅子を引きながら(右隣はぼくである)、言い訳した。
「うるさいのがねばっちゃって、たいへんだったのよ」
「うるさいのはたいていねばるんだ」
 と教授が相槌をうち、ぼくは腕時計に眼を落した。午前二時五十九分三十秒、三十一秒……
「帰ろうとしたら下のごみ捨て場の暗がりで待ってて、まだからむの」
「それでどうした」
 ……三十五秒、三十六秒……このデジタルの腕時計は教授からの貰い物である。この店の看板は三時だったと思う。いつだったか、教授のおごる日を一つとばしてぼくが三度つづけておごったことがあって、その三度めのときに彼はわざわざ自分の手首に巻いていたのをはずしてくれたのだ。ちょうど腕時計を失くしてそれで不都合も感じない時期だったのだが、ぼくはその場で空いた左手首に茶いろい革バンドの貰い物を巻き、以来、どこへ行くにも離さない。この店の主人ないしは女主人が(オカマ・バーなのである)、女の前にコースターを置き、日本髪の頭を傾けて、ウイスキーの水割りでいいかしらと訊ねた。
「ウーロン茶で割って。のびるっていうのに袖を引っぱって、あんまりしつこいから、あたまにきて、つきとばして、逃げてきちゃった」
「おいおい。だいじょうぶか」
 前に持っていた針のある方の腕時計は部厚くバンドも金属製だったから、本体も薄く平べったい今度のがずっと軽く感じるという利点もある。それにほぼ正方形をした文字盤は横に三つに仕切られていて、上段には時刻が秒単位までアラビア数字で表示され、まんなかの段には曜日が漢字で(!)、下段には月日が数字と漢字を使って丁寧に記される。そのうえ教授がぼくに手渡すとき自慢げに述べたところによれば、この時計に内蔵されたコンピューターには三十年先までのカレンダーが組み込まれていて、大の月も小の月もうるう年も含めてまったく正確に、太陽暦に沿って時を追いつづけるそうである。曜日も月日もときに忘れがちな生活を送っているぼくにとっては、実に調法な腕時計なのだ。パイナップル(この店の名前である)の主人あるいは女主人が片眼をつむりながら、薄いピンクのマニキュアをした指先でサントリーの缶詰のウーロン茶を開けた。
「だいじょうぶよ。まかせなさいってママが眼で合図してくれたから」
「あのママもよくやるよな。甘いことば並べて、金だけ使わせてな」
「そうなの、ゆみちゃんはあなたに気があるのよって誰にだって言うんだから」
「その気になってねばったあげくにごみ捨て場につきとばされて……かわいそうに」
「それはでも、あの客が袖を引っぱるから」
 デジタル時計の上段に 3:00 00 と数字が並んだ。女はさっきからそうやっているのだろう、黄いろいリネンのジャケットの袖口に寄ったしわを気にして右手でのばそうとしている。教授もたぶんさっきからそうしているのだろう、水割りのグラスを口へ運びながら、同じいろ同じ布地のタイトのミニスカートの膝もとと女の横顔へ交互に視線を走らせている。麻の葉模様の絽の着物に一重帯をしめたパイナップルの主人もしくは女主人が片手で袖をたぐりながらサントリー・リザーブのウーロン茶割りをコースターの上に置いた。会話を中断した女がグラスを持ち上げ、教授のグラスに当てる。おつかれ。ぼくがグラスに手を伸ばし、女の差し出したグラスに当てる。こんばんは。女の手がリズミカルに移動し、待ちかまえたパイナップルの主人それとも女主人のグラスに触れる。いただいてます。四人が無言でおのおのの飲物を口にする。他に客はいない。ホストともいえるしホステスともいえる従業員は今夜は生理休暇をとっている。これはまるっきり冗談でもなく、本人が月に一ぺんかたくなに主張するのである。
 ついさっきまで店内には三人きりしかいなかったから、教授はあんな内容の話を大声で喋っていたのだった。ぼくは教授の話を聞くのが好きである。彼の言葉づかいは決して上品とも知的とも言いがたく、話の筋道は論理的な整然さに欠けるけれど、それはつまり見方を変えればざっくばらんなお喋りということで、ぼくが学生時代に講義を受けた本物の教授たちのように、聴き手を堅苦しい気持にさせたり退屈させたりはしない。ただぼくはいつも彼の気ままな座談をいったんは楽しんだうえで、あるフィルター(それはいまだに拭いさることのできない初対面の印象であり、当時彼が偽称し後にぼくがそのまま綽名にした肩書のイメージでもある)を通し、いわゆる教授風の言葉に翻訳して頭の中のノートに刻みつけるという癖がある。ぼくの教授が存在とか規定とかという堅い言葉を用いて講義することはあり得ない。にもかかわらずぼくのノートにはその言葉が書き記される。たとえばさっき教授がゆみこという女の子に対して最初に口にした台詞が、フィルターを通すと「やあ、遅刻ですよお嬢さん」と翻訳されるように。ぼくはいつもそのように教授の言葉やお喋りを聞くのである。
 もっとも初対面のとき、いっとう最初にぼくが耳にした台詞は、教授の口からじかにそのように発せられた。彼はこう訊ねたように思う。
(あなたは新婦のどんな友人ですか)
 結婚披露宴の会場で、ぼくと教授は新婦側の友人席に隣り合せてすわっていた。ぼくは礼服姿の中年をちらりと横眼で見やり、ほんの少しためらってから小声で――来賓のスピーチの途中だったのである、
(おさななじみ)
 と新郎から言いふくめられた通り答えておいた。すると相手はしかつめらしく一つうなずいて見せ、
(なるほど)
 そう呟いたあとで顔を新郎新婦が並んでいる方へねじり、純白のネクタイの結び目に片手を添えて息苦しそうに小さく息を吐いた。それからまたぼくを振り向いて言う。
(すこし暑くない?)
 ぼくは黙って首を横に振る。中年男がはんぶん独りごとで言う。
(スピーチが長すぎるんだ)
 ぼくは黙って首を縦に振る。中年男がそれに気づいてにやりとする。彼の席は長方形のテーブルの端に位置するので、話しかける隣の人間といえばぼくしかいないのである。
(あなたは?)
(え?)
(新婦とはどんな)
 しかし相手はこのときぼくの質問に正確には答えなかった。
(大学の教授をしています)
(…………)
 としばらく押し黙って考えてから、ぼくは名刺を差し出した。教授はそれを三十秒ほどかけてたんねんに読んだ。市会議員の長すぎるスピーチが終ったときも、彼はちょうど裏返しにして何も印刷されていないのを確認している最中だったので、出席者全員の拍手に加われなかった。ぼくとしては仕事がら名刺を渡すのは習慣になっているし、ここで大学教授と知り合っておけば何かのとき情報源になるかもしれないと考えただけである。が、名刺に印刷されている社名はどんな小さな街の人間でも百人中九十九人は知っていて親しみのあるものだし、それでいて彼らにとっては何やら得体の知れぬ怪物としてときに警戒の対象にもなる。教授もそれを認めた。
(いいところに勤めてるね)
 というのが彼の感想だった。ありきたりの反応である。名刺を見た人間はなかば率直に、なかば皮肉まじりに、しばしばそう言う。ぼくはその手の文句を聞き流すことにすでに慣れていた。
(教授は……)
 と言いさして勤め先を訊ね、名刺を求めたつもりだった。しかし相手は薄笑いを浮べて気づかぬふりをする。ぼくの名刺が二人のほぼ中間の位置(祝いの料理が盛られた塗り物の膳と膳の間)に、白いテーブルクロスの上の狭い空間に置かれた。ぼくは市内に二つある四年制の大学のうち、レベルが上だとされている方の名前をあげ、そこにお勤めかと訊ねた。教授はまた薄笑いを浮べ、
(いや……)
 と短く言葉をにごした。ではもう一つの方というわけである。どちらにしても、もともとたいした大学の教授ではないわけだ。いつまでたっても相手のポケットに収められない自分の名刺を見ながらぼくはそう考えた。
 教授はたてつづけにビールを飲み日本酒を飲んだ。ぼくも彼に倣って手酌で飲みつづけた。このまま飲んで、料理をたいらげて、土産を貰って帰るだけだ。それで新郎との約束は果せる。名刺はこれまで何枚も無駄に使ったように、また一枚無駄にしたと思えばいい。新郎以外に知り合いの一人もいない宴会は終りに近づいていた。それまで教授とぼくの間には二度と言葉をかわす機会がもたれなかった。ぼくはきょう一日とった休暇の残りの時間をどう過そうかと考えた。むろんポケットベルが鳴り出さなければの話だが。それから明日の取材先のことについて少し考えた。フルーツが運ばれてきた。酒好きの垂れ眼の教授が声をあげた。
(?)
 という感じでメロンを一きれ口にふくみ、二きれめにフォークを刺してから振り向いてみると、
(!)
 という感じで教授があわてふためいている。その後ろに立った給仕の女(鮮やかな紫地の和服姿)がおろおろしながら謝り、
(すいません申し訳ありませんあたしが)
 と手を伸ばすけれど、うつむいた教授は握ったおしぼりをせわしなく使って離さない。女のもう一方の手は盆をささえ、その上には汚れた器や空いた銚子が載っているので、気持ほどには動きがとれない様子である。ぼくはまず染みのついた自分の名刺をテーブルクロスで拭って背広のポケットに収め、それから身をかがめて教授の椅子の下に転がっている焼物の小鉢を拾いあげると、盆の上に載せてやった。女が礼を述べた。中身のエビの剥き身や、菜の花や、油揚げの細切りおよび胡麻だれは、すでにぼくの名刺と教授のズボンを経由して床に散らばっている。
 後にこの不始末のいきさつを教授じしんから聞いたところでは、女がメロンの皿を運んできたとき彼はぼくと同じような状態にあったらしい。つまり話し相手になる知り合いが一人もいないので間がもてないながらも、酒のせいでほろ酔い加減でいたのである。しかも彼はちょうど会話のきっかけになりそうな話の種を眼の前の小鉢から思いついたところだった。が、その思い出話が隣にすわっている人間の関心をひくかどうかはわからない。相手は初対面の新聞記者である。ここは行きつけのオカマ・バーではない。教授はためらった。ためらいながらも小鉢に手を伸ばした。その器をさげてもよいかと訊ねる女の声は聞き逃していた。問いかけに対して男が無言で応じたのだと、女が誤解しても無理はない。この客はきっとエビが嫌いなのだろう(実際には教授はエビは大好物だが油揚げが苦手で箸をつけなかった)。教授の手が小鉢を持ち上げ、とうぜんそれを受け取れるものと期待した女の手が添えられる。互いの手に一瞬、力がこめられ、男が驚き、女が勘ちがいを知り、互いの手が同時に離れた。そのあとで、メロンを一きれ食べ終えたぼくが隣を振り向いたというわけである。
 教授が初対面のぼくに話そうかどうかと迷っていたのは、有田焼の小鉢と女にまつわる思い出だった。というと、なんとなく恋愛物の小説じみて恰好がいいけれど、実はまのぬけた話なのである。もう十年近く前になる、教授はある女性の部屋へ通っていた。彼女は酒も煙草ものまなかった。教授は当時もいまもボトル一本のヘビースモーカーである。はじめて部屋を訪れたとき、教授は煙草を喫おうとして灰皿がないのに気がついた。灰皿がない女の部屋を訪れるのも初めてだと気がついた。すると彼女が台所から青い小鉢を持ってきて、それでまにあわせるようにと勧めた。底に山水のマークが入った有田焼である。彼女は焼物が好きで、気に入ったものがあるたびに買ってくるのだという。教授は女の優雅な趣味をというよりもむしろ、とりあえず食器を灰皿に利用するという女の実際的な感覚を印象にとどめた。生活様式が存在を規定する。なるほどその小鉢は灰皿に使えるのである。全体が一輪の蘭の花のような型に焼いてあって、深さも手ごろだし、花びらと花びらの合せ目に喫いさしを載せることもできる。教授は彼女の部屋を訪れるたびにその器を愛用するようになっていく。台所の食器棚をのぞいてみると、灰皿に使えそうな焼物はまだいっぱいありそうだった。ある晩、教授は急用ができたので、泊りに行くという約束を取り消さなければならなくなった。電話を入れてわびたけれど彼女はむろん不機嫌である。急用というのは、別の女性と映画を見て食事をして酒を飲んでそれから送っていくという用事だったのだが、男友だちとのつきあいだとごまかして何とかなだめようとした。しかし機嫌はなおらない。しまいに、教授が男には男どうしのつきあいというものがある。その方が大切なときもある、それくらいわかるだろうと言ったとたんに彼女は押し黙り、やがて泣きはじめた。涙声で、どうしてなの? と訊ねる。教授が、どうしてもだと答えると、わかったわといって相手は電話を切った。じつはこのとき彼女は、教授がなんどかくり返した、
「な、わかるよな?」
 という台詞を、
「わかれような」
 と聞き取っている。嘘のようなトンマな話なのである。彼らは二人の間が気まずくなり、きわどくなり、とりかえしがつかなくなるまでその点に気がつかなかった。一週間後、教授はなんとか彼女の部屋を再訪することに成功したが、そのとき愛用の灰皿はすでにこの世に存在しなかった。彼女が割ってこなごなに砕いていたからである。これでおしまいだなと教授は思った。これでおしまいにしようと。教授は結局、一本も煙草を喫わずに彼女の部屋をあとにした。
 披露宴の席からずいぶん間を置いてこのオカマ・バー・パイナップルで二度めに会ったとき、ぼくはその話をきょうと同じように教授の右隣の席に腰かけて聞くことになる。もちろん名刺はもう渡すつもりはなかった。むこうは偶然に隣り合せた席順が披露宴のときと似ていたのでようやく思い出したらしかったが、こちらは服装の違いや言葉つきの大違いにもかかわらず最初から気づいていた。教授の思い出話が終ると、ぼくはこう訊ねたように思う。まだ彼の講義の楽しみ方に慣れていないせいもあったが馬鹿な質問をしたものである。
(焼物が割れて、これでおしまいにしようと思ったのは、つまり彼女にとっての自分の存在がこなごなになったと感じたわけですか)
 教授は長考し、やがて微笑した。
(いや、そのような感じを受けたおぼえはない。ただわたしにはすでに他に女がいました。彼女よりも新しい女の方へ気持は傾いていた。それだけです。それで都合よくおしまいにできるとわたしは思った。彼女の方にもそんな考えがすこしあったかもしれない)
(彼女の方にも?)
(一ケ月くらい経ったころだろうか、彼女が新しい男と交際しているという噂を耳にした。彼女は別の気に入った男が使う灰皿のために別の気に入った焼物を用意したことだろう。それは古い焼物を割った後だったのか割る前だったのか、誰にもわからない)
(その後先は彼女の気持のなかでという意味ですね)
 教授はふたたび長考し、やがて吐息をもらした。
(そのような言葉の遊びはきみにまかせる。この話はもう終りだ。再会を祝して豪気(ごうき)に飲もうじゃないか)
(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)
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