「小説 野性時代」で好評を博した連載小説を、11月の刊行に先駆けて限定公開! ある愛のため、命がけで新選組を脱した男のロード・ノベル――切なくて狂おしい「東山版」新選組小説をひと足先にどうぞ。
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>>第10回「初めての給金」
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 壬生(みぶ)八木(やぎ)邸からは、四条通りをただ真っ直ぐ鴨川目指して行くだけである。川の手前を左に折れれば、そこが先斗町(ぽんとちょう)だ。人が行き違うのもやっとの細長い横丁に、飲み屋がひしめきあっている。客を引く女たちの嬌声(きょうせい)、男たちの笑声に応えるかのように、ひとつ、またひとつと赤提灯(ちょうちん)に灯が入り、先斗町は次第に夜の装いを整えていった。
 ふたりは通りを冷やかし、適当な店に飛びこみ、まァまァ、とりあえず、などと言いながら、たがいの猪口に酒を差したのだった。
 近藤や土方から見れば沖田は若輩者で、こんな人を食った奴でもふだんは言いたいことの半分も言えていないのだろう、酒の入った沖田はいつにも増して饒舌であった。うんうんと相槌を打ってやるだけで、沖田の長広舌はこの世の終わりまでつづきそうだった。おかげで、知り合って三月(みつき)ほど経つというのに、蓮八はこのときまで沖田のことをほとんどなにも知らなかったことに気づいた。
 大口を開けてよく笑い、子供相手でもむきになり、天真爛漫に――餓鬼が無邪気に虫けらでも殺すように犬を斬る。つむじを曲げたが最後、痛い目を見るのはいつも沖田に稽古をつけてもらう平隊士たちだった。剣は天然理心(てんねんりしん)流。稽古で土方を負かすところも何度か目にしている。あいつはまだ手を抜いている、本気を出したら近藤さんすらかなわない、そう言っていたのは永倉だったか。
 が、江戸の白河(しらかわ)藩屋敷で生まれたこと、ふたりの姉がいることなどは初耳だった。迷信深い。とりわけ子供の頃に乳母から聞かされたお伽噺(とぎばなし)のおかげで、たとえ人を殺めても、もっと多くを救うことができるのなら、けっして地獄に堕ちることはないと信じているのが新奇であった。
「ねえ、蓮八は牛頭(ごず)人身の七非人という(はなし)を知ってる?」
 昔々、摂津国(せっつのくに)に金持ちがいた。その男は鬼神の祟りを受け、それを祓うために七年かぎりと定めて、毎年牛を一頭ずつ殺して神に捧げることにした。首尾よく七年で七頭の牛を捧げたが、とたんに大病を患ってしまった。
 名医名薬を求めたが、いっかな治らぬ。さては牛の命を奪った祟りに相違ないと、今度は方々へ人を()って鳥や犬や魚を買い取らせては、せっせとこれを放生(ほうじょう)した。しかし甲斐なく、七年目にとうとう鬼籍に入ってしまった。
 黄泉路(よみじ)を行きつ戻りつしていると、牛頭人身の七非人が走って来て男の髪に縄をかけてどんどん追い立てた。しばらく行くと、立派な楼閣が見えてきた。ここはどこですか? 男は訊いた。牛頭人身どもが目を怒らせて、ぐずぐず言うな、さっさと入れ、と罵るのでそうすると、そこは閻魔(えんま)大王府であった。
 大王は七非人に向かって、これはその方らを殺した奴か、と問うた。如何にも左様でございます、つきましては彼奴(きやつ)(なます)に致しましょう。そして大王がうんともすんとも言わぬうちに小刀とまな板を持ち出し、ひと思いに男の腹を裂こうとした。
 ちょっとお待ちください。どこからともなく声がするので一同がふりむくと、千万余人の者が群がり出て男の(いまし)めを解いた。大王様、牛を殺したのはこの方の(かど)ではございません、と声をひとつにして嘆願した。鬼神の祟りを祓うために仕方なくそうしたのです。
 閻魔大王はほとほと困り果てたが、七非人と千万余人でははじめから勝負は見えている。とうとう大王が無罪を言い渡したので、男はまた黄泉路をとぼとぼ引き返し、嘆き悲しむ家の者や坊主に見守られて横たわっている己の体に入りこみ、むっくりと起き上がって皆をびっくり仰天させたのだった。
 沖田は酔眼と箸の先をひたと蓮八に据えた。「金持ちを助けた人たちが誰だか分かる?」
「俺を馬鹿だと思ってんのか? 男が助けた犬や鳥だろ?」
「つまりだ」沖田は(はも)の湯引きをつつき、しばし話の筋を見失い、切り口上で言った。「まあ、そういうことなんだよ」
「おまえは犬も殺したがな」蓮八は鼻で笑い、酒をすすった。「ひとつ訊こうと思ってたんだがよ、なんで俺にかまうんだ?」
 沖田が小首を傾げる。
「剣の腕もまだまだだし、俺なんかとツルんでてもつまんねェだろ。近藤さんや土方さんといたほうが――」
 沖田は手をふって話をさえぎった。「あの人たちとは一緒に死ぬことになるから、べつに生きてるときまで一緒にいなくてもいいんだ」
 蓮八は目をしばたたいた。酔いの醒める心持ちであった。この野郎、すげェことをさらりと言いやがる。
「でも、なんで俺なんだよ?」と、重ねて尋ねた。
「まあ、山南(やまなみ)さんのことは好きだな」
「ああ、サンナンさんはやさしいからな。親切者は山南と松原(まつばら)ってみんな言ってるもんな……おい、質問の答えになってねェぞ」
「面倒くさいなあ」沖田は、憶えてるかなあ、と頭を掻いた。「江戸から京へ上ってくるとき……あれはもうすぐ京に入る頃だったかな。はじめのうちはちゃんと隊列を組んで歩いていたのに、そのうちだんだんほどけてきちゃってさ。最後のほうはもう誰彼入り乱れて歩いてただろ?」
 蓮八は頷いた。
 沖田によれば、蓮八はそのとき誰かと凄腕の剣士の話をしていたらしい。長い道を歩くときにかならず何度か訪れる、あの自棄(やけ)気味の多幸感に蓮八もその誰かもどっぷり首まで浸かっていたそうだ。
 あいつはぜったいに死なねェよ。蓮八の話し相手の口からは、言葉が泉のように溢れ出た。俺が聞いた話じゃ、あいつは南蛮渡来のもののけを仕留めたらしいぜ。あいつの村にでっけェ狼が出たんだと。で、あいつはその狼がてめえの祖父(じい)さんを食い殺したと決めつけて退治しようと思った。幾日も狼の通り道にある木の上で張ってた。で、とうとうある日、狼が木の下をとおった。あいつは弓に矢をつがえて狙いをつけた。そのとき、バッ!
「その人はおまえを(おど)かそうとして声を張り上げたんだけど」沖田は笑いながらつづけた。「おまえはぜんぜん平気の平左で、そのかわりすぐうしろを歩いていた僕がびっくりしちゃったよ。あれ、誰のことを話してたの?」
「そんなの忘れちまったよ」
 それは、夜汐について語られる根も葉もない噂だった。
 そうだ。記憶の底でなにかが(うごめ)くのを蓮八は感じた。弦を引き絞り、いままさに狼を射ようとしたその刹那、夜汐の目のまえに逆さ吊りになった男の顔がバッと現われたんだっけ。
 黒い洋装で身を固めた異人が、まるで蝙蝠(こうもり)のように枝からぶら下がっていた。驚いた夜汐は木から落ちたが、落ちながらも異人に向けて矢を放った。矢は真っ直ぐに異人の首に突き刺さった。真っ赤な血が噴き出すところを夜汐は見た。それから、地面に叩きつけられて気を失った。
 ここで沖田が口をつぐんで目を上げなければ、蓮八はすぐそばで飲んでいた浪人風情に気づくこともなかっただろう。
 野()り模様の着流し、長い総髪を頭のうしろでひっつめているが、こちらに背を向けているせいで顔は見えない。遊び人だと蓮八が思ったのは、ほのかに香る椿油のせいだった。塗りの剥げた大小を無造作に投げ出している。
「失礼ですが」沖田はその背中に声をかけた。「今、僕たちの話を聞いて笑いましたか?」
 返事はない。
 話しかけられていると思わなかったのかもしれないし、敢えて聞き流したのかもしれない。いずれにせよ、男はふりかえることなく、ただ淡々と酒を飲んでいた。窓から吹きこむ涼風が、通りを(そぞ)ろ歩く人たちの声を運んでくる。
「なんだよ?」蓮八は沖田に向き直った。「なんに目くじらを立ててんだよ?」
「その人がいま肩越しに笑ったんだ」
「気のせいじゃねェのか?」
 沖田はなおも男の背中から目を逸らさない。
「べつにいいじゃねェか」蓮八は諭した。「元やくざ者の俺が言うのもなんだけどな、こんなことぐれェで切った張ったやるのは駆け出しの下っ端だけだぞ」
 まるで叱られた餓鬼みたいに、沖田がむくれ顔になった。
「くだらねェことで名前を売ろうとする奴は腐るほど見てきたが、そういう奴はくだらねェ死に方しかしねェ。おまえもそうなりたいのか?」
「それもそうだね」沖田は酒をあおり、ケロリと認めた。何事もなかったかのように先をつづける。「どこまで話したっけ……そうそう、凄腕の剣士が木から落っこちながらもののけを矢で射ったんだ。蓮八、おまえは『ちょっと待て』と言った。『俺たち、なんの話をしてたんだっけ?』そしたら、もうひとりのほうがこう言った。『だからよ、俺らとあいつらじゃ住んでる世界がまるでちがうって話だろ? 俺らがこんな話をしているときに、あいつらは勤王だの倒幕だのの話をしてやがる。俺らがはした金で闇から闇に葬られてるときに、あいつらは志のために誇り高く死んでいくってわけよ』そしたら、おまえがこう言ったんだ。『どんなに間違った志でも志は志だから、それを追いかけてるうちは傍目にゃ輝いて見えるのさ』」
 蓮八は酒を飲み干し、手酌をし、もうひと口飲んだ。そんなことを口走ったような気もする。とどのつまり、蟻が砂糖に群がるように、人は志に群がるものなのだから。肩越しにふりむくと、先ほどの遊び人が勘定を済ませて店を出るところだった。それから、もの問いたげな目を沖田にふり向けた。
「で?」
「それだけさ」
「はあ?」
「ああ、分かるなあって思ったんだ」
「………」
「自分と同じようなことを考えてる奴っているんだなあって」
 蓮八は目を逸らした。屈託なくそんなことを口走る沖田に、何度面映(おもは)ゆい思いをさせられただろう。真っ直ぐで、濁りのない目。聞いているほうが赤面してしまうようなことでも、心に浮かんだが最後、沖田という男はそれを口に出さないと気が済まないのだ。
「でも、その話を近藤さんや土方さんに聞かれなくてよかったよ。だって、あの人たちの志が間違ってるってはっきり言っちゃってるからさ。下手をしたら……」そう言って、箸で腹をかっさばく真似をした。「これだよ」
「おまえの志でもあるんだろ? 間違ってるって言われたのに腹も立たねェのか?」
「僕はただ近藤さんたちについていきたいだけだよ」沖田が言った。「あの人たちが今とは正反対の志を抱いたとしても、やっぱりついていくなあ」
つづく 

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<初出:「小説 野性時代」2017年12月号~2018年4月号>

<このコンテンツは、「小説 野性時代」2017年12月号から2018年9月号まで掲載された連載の前半部分を、単行本化を記念して18年11月末まで、期間限定で毎週更新するものです。単行本『夜汐』の発売は11月下旬を予定しております。また、本コンテンツは19年1月末まで掲載の予定です。>

書籍

「小説 野性時代 第172号 2018年3月号」

小説野性時代編集部

定価 860円(本体796円+税)

発売日:2018年02月09日

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    書籍

    『夜汐』

    東山 彰良

    定価 1728円(本体1600円+税)

    発売日:2018年11月28日

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