「小説 野性時代」で好評を博した連載小説を、11月の刊行に先駆けて限定公開! ある愛のため、命がけで新選組を脱した男のロード・ノベル――切なくて狂おしい「東山版」新選組小説をひと足先にどうぞ。
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>>第9回「狼の黒い夢」
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 牛にでもなってしまったような気分であった。
 いわく言い難いなにかに鼻面を引き回されている。今更訪ねていったところで、亀吉かめきち)が生き返るわけではない。自分のようなやくざ者など、八穂やほ)と所帯を持てるほどの甲斐性かいしょう)もない。
 それでも、今度こそはという想いだけはあった。今度こそ八穂と一緒にどこかへ――あの日、八穂が売られていった日に闇雲に想い焦がれた場所へ辿り着けるかもしれない。かつての不首尾をやり直せるかもしれない。それとも、今度こそしくじりつづきの人生の総仕上げになるのだろうか。
 蓮八れんぱち)はや)る気持ちを抑えた。淡々と日々の務めをこなし、時が満ちるのを辛抱強く待った。朝な夕な、例の悪夢を思い返しては、これからやるべきことを己に言い聞かせた。
 思い出すだに冷汗をかいてしまうのは、こけ)むす大樹に追い詰められる場面である。敵が皆抜刀しているのに、自分だけが得物をなにも持たない。豚みたいにうろたえるばかりで、)られるのを待つことしかできなかった。
「このところ気合いが入っているな」ある日、朝稽古が終わったあとで土方ひじかた)に声をかけられた。「太刀筋がよくなったように思うが」
 かたわらにいた近藤こんどう)永倉ながくら)も頷く。
「ずっと素振りをやってますよ、こいつ」
 助勤の藤堂平助とうどうへいすけ)がやってきてそう言うと、墨西哥メキシコ)焼酎の山崎やまざき)も誇らしげに蓮八の肩を掴んで揺さぶった。
 当の蓮八はといえば、いやあ、そんなこと……まあ、やっぱり出入りのときはみなさんの足手まといになりたくねェんで、などと言ってはぐらかす。
 土方がじっと見つめてきた。その眼光は頭のなかにまで刺しこんでくるようで蓮八を落ち着かなくさせたが、顔色ひとつ変えずに「今後も精進しろ」とだけ言い置いて、近藤らと道場を出ていってしまった。
 胸を撫で下ろす間もなく、今度は沖田おきた)がぴゅうっと飛んでくる。
「蓮八! 蓮八! 土方さんたちになんて言われたの?」
 蓮八は辟易へきえき)しつつ、「いや、太刀筋がよくなったって」
「ほんと?」沖田は目を丸くした。「いつも人の竹刀しない)を受けては『軽い、軽い』しか言わない土方さんが? 人を人とも思わないあの土方さんが?」
 そこまで言われると、さすがに悪い気はしない。蓮八は照れ隠しに竹刀をブンブンふり回した。
「それよりさ、給金が出ただろ?」
 ちょうど初めての給金三両が支給されたばかりであった。
 猪口ちょこ)をぐいっとやる仕草をしながら、沖田が言った。「今夜、先斗町ぽんとちょう)あたり、どう?」
「酒か?」蓮八は額の汗を稽古着の袖でぬぐう。「まあ、俺はよしとくわ」
 たかが夢じゃねェかと内心自嘲しつつも、この野郎とはいずれ、という思いも捨てきれなかった。もし俺の太刀筋がよくなったんなら、と思った。そりゃてめえを斬るつもりで稽古してるからだぜ。
「なんでさ?」沖田が口を尖らせた。
「なんだっていいだろ」
「江戸の女から文が届いたんだって?」
 予想外の切り返しに、蓮八は危うく竹刀を取り落とすところだった。
「近藤さんから聞いたよ」沖田がにんまりした。「好いた人なの?」
「そ、そんなんじゃ……」
「あぁあ、幹部の連中はずるいよなあ!」と、この男は悪口も人目もはばか)らない。「自分たちだけ京に妻子やめかけ)を置けるんだもんな」
「しっ!」蓮八は色をなした。「おまえ……馬鹿、声がでけェよ」
 道場に残っていた連中が胡乱うろん)な目を向けてくる。が、沖田は一向に頓着しない。
「妾なんてさ、今日欲しいと思っても今日できるわけじゃないからね。いまのうちからコツコツ遊んでおかないと。ほら、近藤さんだってわざわざ大坂の遊廓にかよってるじゃないか」
 大坂新町しんまち)折屋おりや)深雪太夫みゆきだゆう)。近藤の一目惚れとのもっぱらの噂であった。身請けする日もそう遠くないだろうと。
「せっかく誘ってやってるのに」沖田はぶちぶちと果てしがない。「そうか、よく分かったよ。ウサギの蓮八さんは江戸に惚れた女がいるから、僕みたいな寂しい奴とは飲みにも行けないってわけだ。どうせ自分はここにいる浪士とはちがうと思ってるんだろ? 武士は食わねど高楊枝だもんね。ああ、御立派だよ」
「分かった! 分かった!」蓮八はあたふたと沖田を道場からひっぱり出した。「だからもうでけェ声を出すな」
「いや、もういいよ。おまえは屯所に残って、女から来た文でもうだうだ読んでいればいいさ。恋文なんて一、二回読んだくらいじゃ相手の本心なんか分からないと思ってるんだろ? その気持ちはよく分かるよ。一文字一文字の払いとか撥ねとかに隠された意味があるかもしれないもんね。ようく分かるよ。どうせ僕なんかひとり寂しく飲んでるのがお似合いだしね」
「だから、もう分かったって!」
 このような経緯いきさつ)で、ふたりは連れ立って飲み屋街へと繰り出す仕儀と相成った。沖田は初夏の若葉のように活き活きと、蓮八は痛風持ちみたいに渋々と。
(第11回へ)
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<初出:「小説 野性時代」2017年12月号~2018年4月号>

<このコンテンツは、「小説 野性時代」2017年12月号から2018年9月号まで掲載された連載の前半部分を、単行本化を記念して18年11月末まで、期間限定で毎週更新するものです。単行本『夜汐』の発売は11月下旬を予定しております。また、本コンテンツは19年1月末まで掲載の予定です。>

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書籍

「小説 野性時代 第172号 2018年3月号」

小説野性時代編集部

定価 860円(本体796円+税)

発売日:2018年02月09日

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