かつて神童と呼ばれたお笑い芸人は、なぜ突然引きこもりになったのか? 渾身のルポ『一発屋芸人列伝』も話題の髭男爵・山田ルイ53世の半生を赤裸々につづった衝撃のエッセイ『ヒキコモリ漂流記 完全版』の電子書籍化(10/25より配信開始)を記念し、序章と第1章を試し読み全文公開! ヒキコモリ……その暗黒に足を踏み入れる序曲それはまさに“恐怖の胎動”! 
なお、電子版には特典として、ヒキコモリ問題を分かりやすく分析した精神科医・斎藤環さんとの対談も収録。この機会に是非お読みください!

>>試し読み第1回、序章はこちら

第1章 神童の季節

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姑息な朝顔のつる

 
 小さな頃は、後々「引きこもり」になるなんて想像もつかないような、活発でやんちゃな子供で、よく度が過ぎたいたずらをやらかしては、親が先生に呼び出されたりしていた。
 誕生日が四月で、いわゆる遅生まれだったからだろうが、小学校低学年くらいまでは、図体(ずうたい)もでかい方で、同級生の間でも一目置かれる存在。恐れられるというよりは、頼られる感じで、僕も悪い気はしていなかったから、何かにつけて、他の子の面倒をみたりしていた。
 幼稚園の時なんかも、トイレに行けない子がいると、手を引いて連れて行ってあげたり、落とし物を一緒に捜してあげたり、泣いている子がいると職員室に人を呼びに走ったり……そういう兄貴的振る舞いを先生も見ていたようで、ある時、「級長」に任命された。級長は、先生から渡された、サクランボの形をしたボンボンを胸元につける。大人からの信頼の(あか)しである。
 夏休みに入る少し前、みんなで朝顔の種をまいた。園児一人に一鉢、朝顔を育てさせる。自分の朝顔は責任を持って世話をしなければならない。僕も、皆と同じように、キチンと水をやり世話をした。にもかかわらず、僕の朝顔だけ大きくならなかった。
 他の子の朝顔は順調に大きく育っていく。
 ふたばが出て、本葉が出て、気が早いのは、つるが伸び始めているものさえあった。
 なのに、僕の朝顔は、小さな小さな「ふたば」が出たのを最後に、それ以上まったく大きくならなかった。
 そうこうするうちに夏休みに入った。何日かある登園日の度に様子を見てみるのだが、僕の朝顔の上にだけ時間が流れていないのか何の変化もない。僕に落ち度はなかったはずだ。それなのに、現実にこれだけの差が出ている。
 単純に種の当たり外れだろうが、
(なぜ、自分だけがこんな目に……)
 人生とはなんて理不尽なんだ。これを解決するには、もう実力行使しかない。
 追いつめられた僕は幼稚園に忍び込んだ。
 朝顔は、各教室のベランダにズラッと並べられている。
 教室とベランダは大きな「掃き出し窓」で隔てられている。夏休み中なので、そのガラス戸はもちろん、教室のドアも何もかも、すべて施錠されていた。つまり正規の侵入ルートはない。
 僕のクラス、「バラ組」の教室は二階にあった。しかし、都合良く、バラ組のベランダすれすれに大きな木が生えており、それをよじ登って、ベランダに飛び移れることを僕は1年前から知っていた。
 無事ベランダに降り立ち、周りをうかがうと、相も変わらず、貧相な「ふたば」止まりの姿で僕の朝顔がそこにあった。
 せめて、枯れてなくなってしまえばせいせいするのだが、空気も読まずに、ふたばのまま青々としている。まったくもって忌々しいヤツだ。
「僕は元々こういう種類ですけど?」といわんばかりに、開き直った様子の僕のふたば。隣の鉢には、土に挿された三本の支柱に、しっかりとのびた〝ツル〟を絡ませた素晴らしい朝顔がある。
 他の子のものと比べても、それが一番大きく育っているように見えた。
 僕は、そのNo.1朝顔を慎重に引き抜いて自分の鉢に植え、貧相なふたばを身がわりに隣の鉢に植え替えた。
 それからしばらくして、また登園日がやって来た。久しぶりに会った友達と、夏休み中の出来事を報告し合う。
 それらが一段落して、子供達が落ち着くのを見計らい、先生がお話がありますと言って、みんなを集めた。その先生は若い女の人で、幼稚園に勤め始めてまだ日の浅い新人ではあったが、とても熱心な方だと親達の評判は良かった。
 そんな彼女の(かたわら)で、女の子が一人泣いている。
 僕にはすぐに分かった。この泣いている女の子は、先日、僕が勝手に行った朝顔のトレード、その相手に違いない。しかし、自分が手を染めたあの悪事がばれたとまでは、毛ほども思っていなかった。女の子の頭に優しく手を置きながら、体育座りをした子供達を前に、先生が話し始める。
「○○ちゃんの朝顔が、突然小さくなってしまいました……皆さん、どう思いますか?」
 えっ? 小さくなった? どういうこと?
 ざわざわと戸惑う周りの子供達を、慎重に目の端で観察しつつ、自分だけが浮かないように、リアクションの温度調節をしながら、僕は、「えらいストレートに聞いて来たな!」などと思っていた。我ながら、姑息(こそく)なガキである。
 ふと先生を見ると、
「バチーン!」という衝突音が聞こえたかと錯覚するくらい、しっかりと目が合い、先生と僕の視線は、ギッチギチの固結びにされた。
 再び先生が、「皆さん、どう思いますか?」と呼びかけた。
 勘違いではない。「皆さん」と言いながら、彼女は僕のことしか見ていなかった。ロックオンされている。ばれた。それでも往生際の悪い僕は、「なんでそんな不思議なことが起こったのかな? っていうか、○○ちゃんかわいそうだねー!?」的な表情を浮かべ、しらばっくれていた。
 すると先生、今度は、「山田君は、どう思いますか?」
 包囲網が狭まっていく。
 周りの子供達は、おそらく、「サクランボの級長さんだから、先生は山田君に聞いているんだ」なんて思っていたに違いない。
 答えに窮して、「キョトーン」の芝居をいまだ続ける僕に、
「山田君の朝顔は、急に大きくなりました……どう思いますか?」
 その若い女の先生は、一縷(いちる)の望みを託して、そう質問したのだろう。次の瞬間、始まる感動のシーン。
 子供らしく、泣きながらすべてを白状する山田君。それを、寛大な心で許し、何か子供達のその後の人生に影響を与え、心に刻み込まれるようなメッセージを述べるわたし。改心し謝る山田君。他の子供達からの拍手。めでたしめでたし……しかし、現実は違う。
 子供は噓をつく。特にこの姑息なガキは。現実の世界では、大人の方が単純かつ、メルヘンチックであり、子供の方が複雑でリアリストなのだ。
 先生の目は語っていた。
「お願い!! 山田君、お願いだから、自分から言って。先生をガッカリさせないで。先生、信じてるよ……お願い!」
 先生の目をまっすぐに見つめながら僕は答えた。
「分かりません」
 急速に、先生の目から光が失われていくのが分かった。花火を途中でバケツの水に「ジュッ!!」とつけたかのように。
 情熱を持って幼稚園の先生になり、つい先程まで、子供達に注がれていた、熱く優しい眼差(まなざ)し。それが、キンキンに冷えたガラス玉のような目になってしまった。そもそも、たまの登園日にしかやって来ない子供達の朝顔が、枯れもせず、順調に育っていたのはなぜか。先生が世話をしていたからに他ならない。若くて、情熱(あふ)れる彼女は、毎日のように自主的に幼稚園に来て、朝顔の世話をし、観察し、こまめに記録まで付けていたのだ。
 そしてある日、一人の園児の朝顔が急激に巨大化する一方で、別の園児の朝顔は、時間を巻き戻したかのように小さくなっているのを目撃する。
 今まで、自然界で確認されたことのない、学会でも報告されていないであろう超自然現象が、自分の職場で起こったのだ。
 さぞ、驚いたことだろう。
 もちろんそれは、世紀の科学的大発見にではなく、純真無垢(むく)だと信じていた子供のえげつない発想と手口にだ。
 結局、その場では、それ以上の追及はなかった。が、その後すぐに職員室に呼び出される。ガラス玉の目で無言でしばらく僕を見つめたあと、先生は、僕の胸のサクランボをむしりとった。母に糸でしっかり縫いつけてもらっていたので、僕の体は先生の方へとグラッともっていかれたが、彼女はまったく意に介さなかった。「ブチーン!!」という派手な音がした。
「分かるよね? 山田君にこれを付ける資格はありません!!」
 姑息なヤツは失敗する。

  産地偽装の詩

 
 小学校二年生の時。
 国語の宿題で書いた「詩」が、地元新聞に取り上げられた。それは、「小さな目」という欄で、「子供ならではのまっすぐな目線で紡がれた文章や詩を紹介する」というのがその趣旨だったと思う。
 地方紙とはいえ、僕の住んでいた町では、大体、どの家庭でも取っている新聞だったので、自分の子供の作品が載って、親も随分と鼻が高かったようである。その証拠に、息子の詩が掲載された新聞を、綺麗に切り抜き、ご丁寧に白い厚紙の台紙に貼って、さらには、わざわざ額まで買ってきて、家の玄関に飾っていた。
「何をそんなに大袈裟に!?」と思われるだろうが、僕の住んでいた「平凡な地方の街=田舎」において、新聞に載るというのは、それほどの大手柄だったのである。学校では、朝礼の時に、教頭先生に名指しで褒められたし、近所のおばちゃん達からも、
「順君(僕のこと)はほんまえらい子やねー! うちの○○にも読ませたわー!!」などと大いにちやほやされた。
 詩の内容から、皆が僕に、「兄弟想いの心の綺麗な少年」との印象を受けたようだった。しかし、事実はその逆。全ては計算ずくだったのである。
 第一に、僕は知っていた。
 というのも、家が近所でよく遊んでもらっていた上級生のお兄さんから、
「この時期に出る国語の詩の宿題は、新聞社に送られて、出来の良い作品は掲載される」という情報を入手していた。そして何より、(くだん)の詩の宿題を出した時の先生が醸し出しているわずかなニュアンスが気になっていた。締め切りの厳守であるとか、書式、文字数の制限であるとか、いつになく、くどくどと説明をしているのだが、そこに、ただならぬ雰囲気……そう、なにかしらの「コンペ感」がプンプン漂っていたのである。
 先生は随分「大根」だったようだ。
 とにかく、それを敏感に嗅ぎ取った僕は、
「これは、いつもの宿題ではない」
 そう確信し、全力で「()り」に行ったのである。
 それにしても、なぜ小学校二年生の自分がそんなにも新聞に載りたかったのか? たまたま何かで目にした新聞記事に、アンモナイトか恐竜の歯か忘れたが、何かその手の「化石」を発見した少年の話が載っていたのだ。自分と同じような年齢の小学生が、新聞に載っている。そしてそれを周りの大人が手放しで褒めている。羨ましかったのである。
 本来なら、自分と変わらない年齢の子供が、独学で恐竜や化石のことを勉強し、それを発掘するに至った、その情熱の方に刺激されるべきなのに、「新聞に載った」という部分にのみ感化されてしまったのである。
 すべてを知った上で考えた。
「どのようなテーマが大人ウケするのだろう?」「どんなワードを使えば小学生っぽく見えるだろう?」
「っぽく」もなにも正真正銘の小学生である。
 書いては消し、書いては消しを繰り返した。
「駄目だ駄目だ……大人達は少し足りない感じを好むはずだ……言い過ぎちゃ駄目だ!」「もっと、子供らしい舌っ足らずな感じを出すんだ!!」
 そんな、およそ子供らしからぬいやらしい計算の下に出来上がった詩が新聞に載った。
 親も、学校の先生も、新聞社の大人達も、そして、もちろん、それを読んだ人達も先述の通り、
「この作者の子は、とっても優しい子なんだなー!!」などと思ったことだろう。
 しかし、大人達が舌鼓を打って召し上がった、「天然物の子供らしさ」は、その実、偽物の、意図的につくられた養殖物だったのである。
「産地偽装」である。
 

書籍

『ヒキコモリ漂流記  完全版』

山田ルイ53世

定価 734円(本体680円+税)

発売日:2018年08月24日

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