「小説 野性時代」で好評を博した連載小説を、11月の刊行に先駆けて限定公開! ある愛のため、命がけで新選組を脱した男のロード・ノベル――切なくて狂おしい「東山版」新選組小説をひと足先にどうぞ。
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>>第7回「八穂への追憶」
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 十歳になったばかりの春、ひとりで竹林に入ってせっせと(かご)にする竹をっていたところ、八穂の父親が見慣れない男をともなってやって来た。蓮八は岩棚の下にいて、男たちはちょうど蓮八の頭上に立つかっこうとなった。
 善兵衛がなにか言い、男がなにか言いかえす。蓮八には気づかない。しばらくして善兵衛が足早に歩き去ると、男がどっこらしょと岩棚にすわりこみ、煙草をぷかぷか吸いだした。
 どれほどもしないうちに、また足音が聞こえた。善兵衛ではない。もっと軽いその足音は、まるで瀬踏みをするようにおっかなびっくり近づいてきた。
 そっと岩棚の下から見上げると、いつもの薄汚れた小袖ではなく、こざっぱりした狢菊むじなぎくの着物を着た八穂がそこにいた。
 男が立ち上がり、なにか言う。八穂は身を硬くしていた。男は八穂を引き寄せ、おもむろに彼女のふところに手を差しこんだ。ほほお、と言う声が聞こえた。それは蓮八がそれまで聞いたどんな声よりもうれしそうで、邪悪だった。
 八穂はすくみ上がり、ひっ、と小さな声をあげたが、逃げたりはしなかった。男は八穂の胸をまさぐり、それからしゃがみこんで着物の裾をたくし上げた。ぐっと持ち上げたので、蓮八のいるところからでも八穂の白い尻を仰ぎ見ることができた。
 男は八穂の股座またぐらに顔をうずめ、ぴちゃぴちゃと音をさせた。風が吹き、竹の葉がざわめくと、一瞬すべては夢かという気がしたが、風がやむとまたぴちゃぴちゃいう音が耳にとどいた。
 それから、八穂の姿が視界から消えた。
 頭がぼうっとして、なにをどう考えたらいいのかさっぱり分からなかった。眼間まなかいに浮かぶのは、まるで野良犬のように組み伏せられる八穂の姿だけだった。すこしすると、八穂の悲鳴、つづいて男の罵声が聞こえた。蓮八はなたを握りしめて岩棚の下から飛び出したが、飛び出したのは蓮八ひとりではなかった。
 いつの間に戻ってきたのか、岩棚の上に現われた善兵衛が男に向かって「金を払え、金を払え」とわめき散らした。男がなにか怒鳴りかえし、岩の上に銭のばらまかれる音が響いた。
 男は肩を怒らせて歩き去り、善兵衛は負け犬の正論をあかすために――銭に綺麗も汚いもあるものか、こんなことくらいで俺に勝ったと思うなよ――汚れた銭をかき集めた。仕上げに娘をひとしきり足蹴にしてから、なよなよした足取りで村へ帰っていった。八穂は泣き声ひとつ立てなかった。
 蓮八が斜面を這い上がったとき、口の端から血を流している八穂はどこでもないどこかを見つめていた。鉈を持った蓮八の姿を認めると体を強張らせたが、憎しみに燃えるその大きな瞳から溢れる涙はとめどがなかった。
 竹林の遥か上のほうで、葉がさわさわと鳴っていた。
 殺してやろうか? 気がつけば、蓮八はそう言っていた。おまえのおっとうも、さっきの野郎も――
「蓮八は人を斬ったことがあるって言ってたよね?」先に立って歩く沖田がふりむいた。「あれ、嘘でしょ?」
 我にかえった蓮八は、目を泳がせた。
「朝稽古を見てたら分かるよ。あの剣さばきじゃ人は斬れない」
「俺たちは匕首あいくちを使う」と、嘘に嘘を塗り重ねた。「侍とは殺り方がちがうんだ」
「嘘だね」沖田が朗らかに笑った。「いいじゃないか、何事にもはじめてはあるんだからさ」
 蓮八は顔を伏せて坂をのぼった。
 無心になろうとしたが、崖から落ちていく男の影にはらわたを()みつかれていた。もう十年前のことなのに、素っ頓狂な悲鳴がまだ耳の奥に残っている。
 次に八穂が男を取らされそうになったとき、蓮八は約束を果たしたのだった。このまえの男ではなかったが、さして気にならなかった。金に飽かして貧乏人を踏みつけるやつらはゴキブリと同じで、どのゴキブリだろうがちがいはない。今度のはほっそりした、裕福そうな町人だった。
 女衒(ぜげん)気取りの善兵衛がなよっちく竹林を去り、客が岩棚の上で所在なげにしているところを、背後から突き落とした。
 うんざりするほど容易(たやす)かった。
 空中でもがきながら、男は五間ほどの高さを落下していった。そのわずかなあいだに、蓮八は頭で考えるのではなく、肚の底から悟った。孤独ではなくなったことを。そのために地獄へ堕ちるのは甲斐のあることなのだと。
 男は死ななかった。呻きながら、もんどりうっていた。蓮八はあたりをキョロキョロと見まわし、ひと抱えほどある石を持ち上げ、叩きつけるように投げ落とした。
 風がどっと吹きつけ、あたりが葉擦れの音に満たされる。見上げると、竹林の天蓋(てんがい)から青空が垣間見えた。白い雲が、切れ切れに流れていく。風にさわさわ揺れる青竹は、まるで天を掴もうと伸ばした亡者たちの腕のようだった。
 八穂がそばに立っていた。
 ふたりは言葉もなく、頭から血を流して倒れている男を見下ろした。蓮八はこっそり八穂を盗み見たが、その横顔から読み取れることはあまりなかった。すっととおった鼻筋、わずかに開いた唇、長い睫毛(まつげ)が白い頬に影を落としていた。お芋を()かしたの、おもむろに八穂が言った。うん、と蓮八は答えた。
 食べる?
 うん。
「さあ、着いたよ」
 沖田の声に顔を上げる。
 大きな赤犬が一匹、竹に縄でつながれていた。近づいてくる人間たちに向かって、犬は低い声で威嚇した。捕えるときに殴られたのか、片目が()れふさがっている。問われるまえに、沖田が口を開いた。
「さあ、斬ろう」
 人語を解したかのように、犬が激しく吠えだす。
「食うのか?」蓮八は訊いた。
「はあ?」
「食わないのか?」
「犬なんか食べないよ」
「じゃあ、なんで殺すんだ?」
「ただ斬ってみたいんだ」無造作に刀を抜きながら、沖田が言った。「それだけだよ」
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<初出:「小説 野性時代」2017年12月号~2018年4月号>

<このコンテンツは、「小説 野性時代」2017年12月号から2018年9月号まで掲載された連載の前半部分を、単行本化を記念して18年11月末まで、期間限定で毎週更新するものです。単行本『夜汐』の発売は11月下旬を予定しております。また、本コンテンツは19年1月末まで掲載の予定です。>

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書籍

「小説 野性時代 第171号 2018年2月号」

小説 野性時代編集部

定価 860円(本体796円+税)

発売日:2018年01月11日

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