日本霊長類学会会長にしてサル研究40年の研究者による『サルの子育て ヒトの子育て』(著:中道正之)を8月10日に角川新書として発売いたしました。本作の試し読みを「カドブン」にて公開いたします。

死んだ子ザルへの母ザルの対応

 野猿公園を訪れれば、餌付けされたニホンザルをすぐそばで見ることができます。このような餌
付けされたニホンザル集団では、母ザルが死んだ子ザルを運んでいる姿を目撃するのは珍しいこと
ではありません。ニホンザルの研究者ならば、必ず一度は目撃しているはずです。そうすると、ニホンザルの母ザルは子ザルが死亡しても必ず運ぶと思いがちですが、事実はそうではありませんで
した。ある野猿公園での20年以上の観察記録を基にした資料によると、生後1年以内に死亡した子
ザルのうち母ザルが死んだ子ザルを運ぶのはわずか10%でしかありませんでした。しかも、母ザルが死亡した子ザルを運んでいる事例の実に78%で、子ザルは生後1カ月以内に死亡していました。つまり生後2カ月目以降に子ザルが死亡しても、母ザルはほとんどその死亡した子ザルを運ばないということです。また、死亡した子ザルを運ぶ場合でも、その期間は死亡してから3日以内が3分の2ほどになり、1週間を超えて運ぶのは10%弱でした。
 このような数値を見ると、ニホンザルのどの母ザルも死体となった子ザルにまで母親行動を示すというのは、やや過大な表現であるように思われます。しかし、実際に母ザルが死んだ子ザルに関わる姿を自分の目で見ていると、心に響くものを感じてしまいます。
 ニホンザルの出産期は春から初夏にかけての時季ですので、子ザルが死亡するのは初夏から真夏に集中し、気温が高いために死体の腐敗が一気に進みます。死亡直後は白っぽかった顔や手足の色がすぐに黒ずみます。翌日には、腐敗臭も漂い始め、ハエも死体にたかり始めます。母ザルはそんな子ザルの死体を片手で持って歩き、座ると自分の前の地面に置きます。ハエがたかれば、手で払います。死体に毛づくろいをする母ザルもいます。餌場にまかれた小麦を拾うときでも、子ザルの死体をそばに置いています。大きく場所を移動するときには、必ず子ザルの死体を持って移動します。子ザルの死体を持った母ザルにヒトが近づけば、母ザルは歯茎を見せる恐怖の表情、あるいは、口を少し開けての威嚇の表情をします。元気な赤ん坊を持っている母ザルのそばにヒトが近づいても、母ザルはこのような反応をほとんどしません。やはり、死んだ子ザルを持っている母ザルは過敏になっているように思えます。
 さらに、死んだ子ザルを持つ母ザルに対しては、周りのサルの反応も変わります。死んだ子ザルを持った母ザルが近づいてくると、その姿を見ながら、早めに腰を上げて離れていきます。優劣順位が高いメスのサルでも、オトナのオスザルでも同じことです。どのサルも子ザルの死体を避けているのがわかります。
 母ザルが死んだ子ザルの手や足を握って引っ張って歩くこともあります。そうすると、頭は地面の上を引きずられます。ヒトは死体に対してこのようなぞんざいな扱いをできないので、確かにこのような場面を目にするとサルとヒトの間に大きな溝を感じます。でも、時にはこのような扱いをしても、母ザルは子ザルの死体に関心を持ち続けます。死亡後1カ月以上経過し、干からびた1本の小枝のようになった子ザルの死体に対しても、同じように持ち運ぶ母ザルを私は知っています。100日以上も我が子の死体を運び続けたニホンザルの母ザルがいるという報告もあります。
死亡後間もない子ザルを抱く母ザル

死亡後間もない子ザルを抱く母ザル

 では、どうして、ほとんどの母ザルたちは死んだ子ザルを持ち運ぶのを1週間以内でやめてしまうのでしょうか。実際には、母ザルが持ち運ばなくなるその瞬間を目撃した事例はほとんどないために、推測になるのですが、私は、母ザル自らが持ち運ぶのをやめているのではないと考えています。
 少し山の中に入れば、草や背の低い木で地面はおおわれています。そのようなところで、子ザルを地面において採食をしているとき、母ザルが他個体から攻撃を受けると一気に走って逃げるでしょう。そのあとに、同じところに戻ってきても、草におおわれた地面に横たえられた死んだ子ザルを見つけ出すことは難しいはずです。また、採食しているときでも、死んだ子ザルから離れすぎて発見できなくなることもあるはずです。
 死んだ子ザルを持ち歩いていた母ザルが、その子ザルを持たずに草の中を行ったり来たりしている姿を、私は何度も目撃しています。時には、近くの木に登り、地面を見下ろしながら左右に顔を動かす母ザルもいました。開けた場所に出て、周囲を見渡しながら、キュイーとのどを締め付けたような鳴き声を発して、あたりを見渡している母ザルもいました。母ザルがそれまで運んでいた子ザルの死体を捜しているのです。結局は見つからず、その場を離れていくことになります。翌日になっても、同じところを捜す母ザルもいました。
 母ザルが死んだ子ザルを持ち運ばなくなる理由として、腐敗臭がきつくなったり、腐った体が生きているときとは大きく変化したりするからだという意見があるかもしれません。でも、私は自分の子ザルの死体を忌避するような母ザルを見たことがなく、逆に子ザルの死体を捜す母ザルを何度も目撃しているので、そのような意見には疑問を持っています。死んだ子ザルを草の中などにおいて、見失ってしまい、運べなくなるのだろうと思っています。
(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)
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書籍

『サルの子育て ヒトの子育て』

中道 正之

定価 886円(本体820円+税)

発売日:2017年08月10日

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