「小説 野性時代」で好評を博した連載小説を、11月の刊行に先駆けて限定公開! ある愛のため、命がけで新選組を脱した男のロード・ノベル――切なくて狂おしい「東山版」新選組小説をひと足先にどうぞ。
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>>第6回「土方 対 芹沢」
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 沖田が蓮八を犬斬りに誘ったのは、酒宴の二日後だった。
 新緑が壬生の屯所を彩り、ひかえめながら夏の息吹を感じさせる風が京の町に吹いていた。
 八木やぎ邸では母屋と離れ屋敷のあいだに新たな道場が建つ予定だったが、落成するまでは近隣の前川まえかわ邸の表長屋を道場として使ったり、壬生寺の境内で調練したりしていた。八木邸の井戸は母屋の土間にひとつあるきりで、平生どおり午前中の鍛錬を終えた蓮八がその井戸で顔を洗っていると、沖田がほとんど雀躍こおどりするようにやって来て言った。
「ちょっと出かけよう、蓮八」
 どこへ、と問えば、いいから、いいから、とき立てられる。蓮八は稽古着のまま、沖田のあとを追った。
 沖田の足取りは軽く、気分はもっと軽やかだった。それが蓮八を落ち着かなくした。背中に髑髏どくろ刺繍ししゅうのある稽古着が見えたときだけ、さっと物陰に隠れた。
「近藤さんだ」
 稽古着の髑髏は奥方の手によるものらしく、近藤の剣、天然理心流の決死の覚悟を満天下に知らしめるかのようである。
「見つかるとうるさいからさ」
 それで蓮八にもある程度の見当がついた。沖田がなにを考えているのかは分からないが、見つかれば面倒なことになりかねないことに自分を巻きこもうとしているのだ。
 近藤は愛用の木刀を携え、汗を拭きながら八木邸を出ていく。この頃には隊士の数も五十名に迫り、手狭になった八木邸から東へ三十間ほど下った壬生村郷士前川荘司しょうじ邸を間借りしていた。言うまでもなく、芹沢が無茶をとおしたのである。
 狭苦しい坊城ぼうじょう通をぶらぶら歩き、裏口をくぐって前川邸へ入っていく近藤を見届けてから、それ、今だ、と沖田が駆けだす。元やくざ者の勘というものがあるとすれば、それは蓮八にこうささやきかけていた。はらの読めねェ野郎だが、沖田にゃ逆らわねェほうが身のためだ。
 もとより極楽というよりは地獄寄りだったが、例の芹沢と土方の一件以来、壬生の屯所はどうにも居心地が悪かった。誰も口にこそ出さないが、米利堅商船が砲撃されたことが影を落としていた。ついに長州が動いた。つまり、浪士組にも近々なんらかの沙汰があるにちがいない。その無言の圧ときたら、息詰まるほどだった。朝稽古は激しさを増し、国許くにもとに辞世の便たよりをしたためる気の早い者もいた。
 暗雲が逆巻さかまきながら京の町へ流れ込み、血の雨の気配がそこかしこに立ち込めていた。
 小動物の勘で、蓮八はこのへんが潮時だと見切りをつけた。どうせ志などとは無縁の身である。頓着するのはてめえの命ばかり。なのに今や、不逞ふてい浪士取締りの矢面に立たされそうな雲行きであった。とはいえ、浪士組を捨てたところで、行くあてがあるわけでもない。いっそ江戸に舞い戻ろうかとも考えたが、それが八穂と亀吉を窮地に立たせることになるかもしれないと思うと、どうにも踏ん切りがつかなかった。
 ふたりは細い路地を抜け、だだっ広い田んぼを縫って延びるあぜ道を行き、屯所からほど近い竹林に分け入った。ずんずん突き進む沖田に従いながら、胸を満たす清々しい竹の香りがいつしか蓮八の用心を解いていた。
 風が渡り、竹の葉擦れはまるでさざ波のようで、不意に過去と現在がつながる。はじめて八穂と言葉を交わしたのも、こんな竹林のなかだった。
 それまでも、遠目に八穂と亀吉を見かけることはあった。博打でツキに見放されたり、したたかに酔っぱらったりしたとき――たいてい前者が因で、後者が果なのだが――、ろくでなしの父親は気晴らしに姉弟を殴り飛ばした。
 亀吉はいつも女みたいにぴィぴィ泣いたが、八穂は男みたいに歯を食いしばって父親の善兵衛ぜんべえを睨みつけた。すると善兵衛は急にじ気づき、しどろもどろになってこの一切合切は世の中のせいなんだと言い訳するか、さもなければ逆上してもっと殴るのだった。なよっとした男だったので、用があるのは賭場なのに、村の衆からは陰間かげま茶屋(男娼を置いていた茶屋)にかよっていると思われていた。
 ちょうどその頃、蓮八の母親が難産の末に命を落とした。父親の兵吾ひょうごおけ職人だったが、心痛のあまり、生まれたばかりの蓮八の妹を産湯うぶゆに沈めて殺してしまった。産湯を張った木桶は丁寧で繊細な造りで、まだ真新しいひのきの香りを放っていた。
 赤子を犬や猫のように間引くことは、なにも珍しいことではなかった。蓮八は父親と一緒に、母親のとなりに妹を埋めた。そして、ふたつの土饅頭どまんじゅうの前にひざまずき、線香をともしてこうべを垂れた。また生まれ変わって帰ってくるんだぞ。合掌して瞑目めいもくした。そのときは兄ちゃんが守ってやるからな。
 北風が家を揺さぶるある寒い夜に、兵吾はやさしい声で蓮八に話しかけた。おが屑でいっぱいの板の間に胡坐あぐらをかき、竹籠たけかごを編みながら。俺はおまえくらいの頃から桶をつくっておった。囲炉裏の火が薪をへし折り、火の粉が舞った。火影が父親の横顔を赤く照らし、隙間風のピュウピュウ吹きこむ板壁には、背中を丸めた大きくて悲しい影が張りついていた。おまえはずっと俺の仕事を見ておったろ、蓮八?
 孤独という刀が胸に刺しこまれたような気がして、蓮八は泣きたくなったが、泣くかわりに小さく頷いた。すると、父親も頷きかえした。だから、蓮八はもう一度頷いた。それを見て、父親が少しだけ笑った。
 次の日、桶を担いで町へ売りに出かけた兵吾は、そのまま家に戻らなかった。
 蓮八は九歳だったが、心のどこかではこういうこともあるだろうと分かっていた。親が子を殺すやり方はひととおりではなく、こういうやり方もあるのだと。すでに立派な竹籠を編むことができたし、売り物にはならないが水の漏れない桶もつくることができた。なにより近郷近在に桶屋は一軒きりだったので、蓮八は一番村人の役に立ち、一番有り難がられ、なおかつ一番軽蔑される仕事を請け負って糊口ここうを凌いだ。
 すなわち、死人が出るたびに棺桶をこしらえ、近隣五カ村の菩提寺ぼだいじまで大八車で運んで埋葬してやったのである。
 若い娘が亡くなったときには、とりわけ勘繰りの眼差しが痛かった。誰も面と向かっては言わないが、蓮八もそのうち死人をもてあそぶようになり、やがてまぐわうこともあるだろうと思われていた。サイコロがあればどうしたって盆が開かれるし、刀を持てばいずれ試し斬りしたくなるし、美しいむくろがあれば早晩出来心を抑えきれなくなるとでもいうように。
 そんなわけで、蓮八はいじめられもしなければ友達もできなかったので、何年もひとりぼっちで囲炉裏の灰に字を書く練習をしたり――町に出たときに拾ってくる瓦版かわらばんや絵草紙を手本にした――、大小ふたつの土饅頭に線香をあげたり、父親が残していった煙管で煙草キセルを吸ったりした。
つづく 

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<初出:「小説 野性時代」2017年12月号~2018年4月号>

<このコンテンツは、「小説 野性時代」2017年12月号から2018年9月号まで掲載された連載の前半部分を、単行本化を記念して18年11月末まで、期間限定で毎週更新するものです。単行本『夜汐』の発売は11月下旬を予定しております。また、本コンテンツは19年1月末まで掲載の予定です。>

【連載第6回】東山彰良「夜汐(よしお)」土方

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書籍

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小説 野性時代編集部

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発売日:2018年01月11日

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