「小説 野性時代」で好評を博した連載小説を、11月の刊行に先駆けて限定公開! ある愛のため、命がけで新選組を脱した男のロード・ノベル――切なくて狂おしい「東山版」新選組小説をひと足先にどうぞ。
>>第5回「この命の値打ち」
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 ある日のこと、監察方の山崎丞やまざきすすむ原田左之助はらださのすけがどこからか墨西哥メキシコ焼酎の大樽おおだるを大八車でガラガラいて屯所に帰ってきた。
 大坂おおさか出の山崎の言うことには、山崎の知己の弟の友達に田中勝介たなかしょうすけゆかりの者がおり、その者が異国の酒を死蔵していたのでもらい受けてきた、とのことだった。
 田中勝介? 隊士たちは一様に小首をかしげた。何者なんだ、その田中勝介というのは?
 昔、墨西哥へ渡った御仁ではなかったかな、皆の背後から首をのばしながらそう言ったのは、物知りの山南だった。今から二百五十年ほどまえだったか、上総国かずさのくにで座礁した西班牙イスパニア船を家康公が修復させて墨西哥へ送り還したのだが、田中勝介はその船に便乗して渡航した京商人だと記憶しておる。
 一同、へぇえ、と感嘆の声を漏らした。二百五十年前ですか!
 それがしもそのように伺いました、田中勝介なる者は海を渡り、異国の酒を二代将軍秀忠公に献上したのだと。原田がそう言うと、山崎があとを継いだ。文献には葡萄酒ぶどうしゅを献上したとあるそうですが、拙者が伺ったところではどうもそれは怪しいようです。
 どちらが怪しいのですか? 口を出す者がいた。葡萄で造ったというのが怪しいのですか、それとも秀忠公がお飲みになったというのが?
 どっちもだ、と山崎と原田は口を揃えて一喝した。
「葡萄で造った酒か」大声を張り上げて人だかりを割ったのは、近藤や新見錦しんみにしきを従えた局長芹沢であった。「珍重至極、さっそく皆で味見をしてみようではないか」
 山崎が木槌きづちで樽を割ると、つんと鼻を衝く強烈なにおいに皆のけぞった。なんだこれは、と慄いた。これが葡萄酒なのか? 眉をひそめる者あり、涙をぬぐう者あり、咳きこむ者ありだった。伴天連バテレンの小便かなにかではないのか。
 頭を寄せて樽を覗きこむと、琥珀こはく色の酒がおどろおどろしい光沢をたたえて揺らめいている。こいは焼酎ばい、熊本出の尾形俊太郎おがたしゅんたろうが請け合った。そうやなかったら、こがん酒精が目にむることはなか。
 皆の者、困惑して顔を見合わせた。こんなものを呑んでもいいのだろうか? 隊士一同、横目でちらちらお互いを盗み見た。海のある国から来た者は海鼠なまこを初めて食べた猛者を思い、山から来た者はド派手なきのこを初めて口に入れた勇者に思いをせた。
 まかり間違えば命取り。
 たしかに触らぬ神に祟りなし、真の勇気とはこのようなときに無益な危険を冒さぬことだが、しかしながら人間の魅力とは、男子の本懐とはそこを敢えて押し切ることである。尽忠報国のためには一命をなげうつ覚悟の壬生浪士に関して言えば誰もがそのことを重々承知していたので、ここで退いては将軍様に申し訳がたたぬとばかりに柄杓ひしゃくを奪い合い、我勝ちに墨西哥焼酎をむさぼり呑んだのだった。
 阿呆あほうだ、というのが蓮八の飾らない感懐であった。こいつら、みんな阿呆だ。
 そうは言っても、阿呆どものただなかにあって賢明さを保とうとすることほど阿呆なこともないので、蓮八も負けじと他人ひとの背を押しのけて鯨飲げいいんした。
 甘く、馥郁ふくいくとした香りが鼻腔の奥でぜた。撒菱まきびしのように尖った酒精が、日頃の不平不満を焼き尽くしながら喉を滑っていく。胃の腑に落ちたとたん、全身がカッと白熱して卒倒しそうになった。
「これは重畳ちょうじょう!」えたのは、芹沢であった。「恐るべし墨西哥焼酎!」
 隊士たちが血走った目で、おお、と応じ、飲めや歌えやの乱痴気騒ぎと相成った。柄杓をもうひとすくい呑み干す頃には、蓮八もすっかり正体をなくしてゲラゲラ笑っていた。
 そこへ長州藩が馬関ばかん海峡を通過する米利堅メリケン商船を砲撃したという一報がもたらされたものだから、酩酊した浪士たちはますます気炎万丈であった。
天晴あっぱれ、長州!」またしても芹沢。「これで幕府の目も覚めるであろう」
 へべれけの隊士のなかには刀を抜き放ち、勇ましくときをつくる者たちまで出る始末だった。
「慎んでください、芹沢先生」たしなめたのは、近藤である。「長州は我らが敵ですぞ」
「真の敵は異人どもである。我らと長州のちがいは攘夷の手立てだけで、目指すところに何らちがいはない」
「そのようなことを隊士の面前でおっしゃられては士気にかかわります」横合いから気を放ったのは土方だった。「よもや芹沢先生も清河きよかわのように、腹に一物があるのではありますまいな」
 言い終らぬうちに、芹沢はもう抜いていた。
「聞き捨てならん」酒で濁った半眼を、切先とともに土方に据えた。「拙者が幕府に背く逆臣であると?」
 神道無念しんとうむねん流、師範役の腕前である。おまけに、酒乱の癇癪かんしゃく持ち。天狗党てんぐとう(水戸の尊王攘夷派のこと)時代には些細なことで部下を並べて首を打ち、目障りというただそれだけの理由わけで、鹿島かしま神宮の太鼓を鉄扇てっせんで叩き破った。
 しかし切先を喉元に突きつけられてなお、土方は微塵も動じない。それどころか、悠然と言い放った。
「今は我ら壬生浪士組を預かる会津侯が公武合体を画策している時です。此度こたびの長州の砲撃は幕府を窮地に立たせるだけでしょう」
「それが奴等の狙いであろう」
「そのとおりです」土方は芹沢に半眼を据えた。「ゆえに、いずれ我らが奴等を斬ることになります」
 激しくぶつかる両者の視線が、隊士たちの酔いをいっぺんに吹き飛ばした。
 さすがに鬼の副長と陰口を叩かれるだけのことはある。蓮八はこのときはじめて、土方歳三としぞうという男を見た気がした。肝の据わりが半端じゃねェ。
 土方の目が鈍い光をたたえてうごめく。芹沢の切先が持ち上がり、土方の背後に控えた近藤らの手が刀にかかる。もしここで沖田が素っ頓狂な声を上げて仲裁に入らなければ、刃傷沙汰にんじょうざたは必至であった。
「まァまァ、いいじゃないですか。おふたりともこむずかしい話はそれぐらいにして、酒を飲んでるときくらい楽しくやりましょうよ」
「黙れ、総司」一喝したのは、土方だった。「おまえの出る幕ではない」
「まァまァ、落ち着いてくださいよ」沖田は終始笑顔を崩さない。「建前は建前として、僕らだって本当は攘夷したいわけだし、土方さんだって長州の砲撃に内心は快哉を叫んでいるんじゃないですか?」
「貴様……」土方が奥歯を噛みしめた。「黙れと言うに」
「芹沢さんも、もういいじゃないですか」今度は芹沢に取りつく。「土方さんの口の利き方が気に食わなかっただけなんでしょ? 昔からこんな人なんですよ、土方さんって。それに、芹沢さんもおっしゃってたじゃないですか」
 そううそぶき、芹沢の口調を真似てみせるのだった。この世でなにがつまらないといって、餌は食うくせに主には逆らうような手合いに踊らされるのが一番つまらん。
「シビレたなあ! たぶん、土方さんもシビレたと思いますよ。だからこそ芹沢さんに、幕府に逆らうようなことを口にしてほしくなかったんじゃないのかな」土方をふりむき、「ね? ね? そうでしょ、土方さん?」
 土方が不承不承頷く。
「ほら! 土方さんもああして謝ってることだし、ここはもうそういうことでいいじゃないですか」
「しかし、拙者は腹に一物あるとまで言われた」芹沢は引き下がらない。
「腹に一物ない人なんてただの馬鹿じゃないですか」沖田が驚いたように声を張った。「みんないろいろ抱えているんです。それでも、僕らはこうして同じ志のもと仲間になった。それが一番大事なことで、それ以外はどうでもいいじゃないですか」
 わだかまりが解けるまえに、短い沈黙があった。
「拙者とて長州を擁護するつもりなどござらん」天真爛漫な沖田にかかっては、酒乱ではあるが根は単純な芹沢も軟化するしかなかった。「もしそのように聞こえたとしたら、拙者の不徳の致すところだ」
 芹沢が剣を収めると、この一件はこれで落着し、あとは皆で寄ってたかって親の仇のように墨西哥焼酎の樽を空にした。
 芹沢が身銭を切って新たに酒を買ってこさせ、例によって例の如く、うたげは夜遅くまでつづいたのだった。
(第7回へ)
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<初出:「小説 野性時代」2017年12月号~2018年4月号>

<このコンテンツは、「小説 野性時代」2017年12月号から2018年9月号まで掲載された連載の前半部分を、単行本化を記念して18年11月末まで、期間限定で毎週更新するものです。単行本『夜汐』の発売は11月下旬を予定しております。また、本コンテンツは19年1月末まで掲載の予定です。>

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