「小説 野性時代」で好評を博した連載小説を、11月の刊行に先駆けて限定公開! ある愛のため、命がけで新選組を脱した男のロード・ノベル――切なくて狂おしい「東山版」新選組小説をひと足先にどうぞ。
>>連載第2回「殺し屋・夜汐」
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 新徳寺しんとくじの本堂に集合した浪士たちに向かって清河八郎が「明日、再び江戸へ下る」と申し渡したのが三月十二日、陽もとっぷり暮れた、星降るような晩であった。
 声を発する者はいない。
「関白の命である」と、清河は腹に力をこめて一同を見渡した。「我々浪士組は朝命により、いよいよ攘夷の急先鋒を務めることと相成った」
 静まりかえった堂内で動くものは蝋燭ろうそくの炎と、灯に照り映えた隊士たちの落ち着かない目玉だけだった。
 鳳翔山ほうしょうざんを駆け上がる鬼哭啾啾きこくしゅうしゅうの夜風は、さながら総勢二百三十四名の行く末をはかなんでいるかのようである。
 二十日前に京へ着いた早々、清河はまさにこの同じ場所ではらの内をぶちまけていたのだった。近々上洛する将軍家茂いえもち公の守護とはただ名ばかり、浪士組の真の使命は尊王攘夷の先鋒たらんとすることにある、云々。
 あのときもみんな呆気に取られてたっけな、と蓮八は思った。清河の野郎、とんだ食わせもんだぜ。
 江戸から京へ上る徒然に、小耳にはさんだ噂話を思い出す。二年前、清河は天下の往来で町人を無礼討ちにした。その太刀筋が鋭すぎて、刎ねられた首がぴょんっと瀬戸物屋に飛びこみ、伊万里焼いまりやきの大皿にまるでお造りみたいにのっかったという。清河が神田お玉ケ池千葉周作たまがいけちばしゅうさく道場の門下だと知ったのも、そのときであった。
 首をのばして二列前に陣取った祐天仙之助をうかがうと、奥歯を噛み締めているのが見て取れた。
 あったりめェだ、蓮八は隊士たちのまえに独り立つ清河を睨みつけた。こんなに早く江戸に帰るって知ってりゃ、亀吉にあんな入れ知恵なんかするんじゃなかったぜ。
 しばらく京でほとぼりを冷ますつもりだったのだ。蕎麦屋の曲三と事を構えるのも面倒だが、もっと厄介なのは、奴が抱えている殺し屋だ。
 夜汐。
 姿を見た奴はいない。その名前だけが、幽霊みたいにひとり歩きしていた。浅草の國友くにとも一家を皆殺しにしたのも、夜汐の仕業だとささやかれていた。
 たったひとりで斬りこんでいって大立ち回り、などという派手なことはやらない。そのかわり夜汐は時間をたっぷりかけ、そのふたつ名のとおり、夜吹く汐風のように請け負った殺しを静かにやり遂げた。
 手下がひとりずつ首を飛ばされたり、背後から刺し貫かれたり、立ち小便をしているときに両腕を斬り落とされたりするのを目の当たりにして、國友親分はとうとう気が触れてしまった。儂はここだぞ! 儂はここだぞ! と笑いながら仲見世通りを走りまわり、しまいには真っ裸で姥ケ池うばがいけにぷかぷか浮かんでいた。天地神明に誓ってこの目で見たという奴の話を信じるなら、池じゅうの鯉や鮒がうれしそうに土左衛門をつついていたという。
「貴殿は我らをたばかった、というわけですか」
 そう言い放って、すっくと立ち上がった男に全員の目が向いた。その男を取り囲むようにして、明らかに他とはちがう殺気を放つ一団がある。
「我らは幕府のめいにより京都守護を仰せつかりました」男が言った。「関白がどのような命を下したにせよ、幕府より御沙汰ごさたがなければ、この地を一歩たりとも離れるべきではないと存じます」
 清河の顔が驚きに染まる。それから、虫けらが口をきいたとでも言いたげに目をすがめた。
「まずは名乗れ」
「六番隊の近藤勇こんどういさみと申します」
 清河の視線がさっと別の男を射貫く。するとその男が、ああ、うう、と唸り、たしかにそれがしは六番隊隊長を仰せつかったが、それぞれの隊士を把握するにはなにぶん日も浅く……と、しどろもどろになった。
 誰かが蓮八に、ありゃたしか村上俊五郎むらかみしゅんごろうって野郎だぜ、と耳打ちした。
「もとよりどの隊に編入されようと同じです」と、近藤。「将軍様より御沙汰がなければ、我らは動きません」
「ほう」清河が鼻でせせら笑う。「我ら、とは?」
 近藤を取り囲んでいた男たちがひとり、またひとりと立ち上がった。
 そのうちのひとりに、蓮八は見覚えがあった。京への道中、仲間たちと燕が斬れるかどうかで賭けをしていた男である。
 たしか、名を沖田総司おきたそうじと言った。
 ふだんは愛嬌のある丸顔が、刀に手をかけた刹那、その全身からなみなみならぬ気が発せられた。飛来した燕に向けて放たれた斬撃は鋭く、誰もが息を呑んだ。
 燕は斬られたことにも気づかずに飛び抜けたが、それもそのはずで、じつは斬られてなどいなかったのである。気持ちよさそうに飛び去る燕を眺めやりながら、沖田は照れくさそうに頭をかいた。いやあ、やっぱり燕なんてそうそう斬れるもんじゃないな。仲間たちがどっと笑った。
 満面を朱に染めた清河は刀に手をかけ、今にも抜きそうな気配を見せた。たとえここで斬り捨てられたとしても、蓮八は近藤に同情する気になれなかった。近藤の目には見紛うことのない野心の火がともっている。己の身も含め、すべてを焼き尽くす激しい火が。こういう奴はけっきょくのところ、清河と同じ穴のむじななのだ。大義をふりかざして、下っ端を使い捨てにする。
 清河と近藤はたがいに目をそらさなかったが、それも別の一角から芹沢せりざわの一党が立ち上がるまでだった。
 隊士たちがどよめいた。
 芹沢の悪名は、すでに全隊に轟き渡っていた。なにかの手違いで芹沢の部屋だけが用意されていなかった本庄宿ほんじょうじゅくでは、野宿で結構、そのかわりにかがりを焚いて暖を取らせてもらうとうそぶき、宿場の真ん中に地獄のような大火を焚いた。その火の粉が宿じゅうに降りそそぐせいで、隊士たちは水おけを提げて屋根へのぼり、一晩中火事に備えていなければならなかった。芹沢は鉄砲を持っている、というもっぱらの噂だった。
「拙者らも残る」と、梟のくような声で言った。「餌は食うくせに、主には逆らう。この世でなにがつまらぬといって、そのような手合いに踊らされるのが一番つまらん」
「それは拙者のことでござるか?」清河のこめかみに立った青筋ははち切れそうだった。
「ちがいますか?」
「たとえそうだとしても、それは国を守るためである」
「間違っておられます」
「尊王攘夷が間違いであると申されるか?」清河は声を押し殺し、再び刀のつかを握り締めた。「それでは、貴殿のお考えをお教え願いたい」
「どのように攘夷を果たすのかが肝要です」芹沢が高らかに言った。「拙者は挙国一致して事にあたるべきだと考えております。幕府の後ろ盾のない攘夷など、せいぜい異人を斬るか、公使館に火をかけるくらいのものでしょう。それでなんになります?」
「天下に志を示せる」
「拙者に言わせれば幕府は沈みかけの船ですが、それでも黒船に対抗しうる唯一の船です。清河殿が乗ろうとしておられますのは、そう、せいぜいいかだ程度のものでしょう」
「なにぃ……筏だと」
「そのようなものには」一党を引き連れて立ち去るまえに、芹沢はそう言った。「危なっかしくて乗っておられませんな」
「待て!」
 芹沢はふりむきもしなかった。
 近藤の一党がそれにつづく。新徳寺に寝泊まりしていたのは清河派の二十一名のみで、他の者はこちらに数十人、あちらに数十人と分宿していた。芹沢や近藤らは壬生みぶ村郷士八木源之丞方やぎげんのじょうかたで同宿である。芹沢らと連れ立って新徳寺を後にする近藤一党のしんがりは沖田だが、この沖田だけが怒り心頭の清河にぺこりと頭を下げた。
 祐天仙之助は居残った二百人余りとともに、浪士組と決別した男たちを茫然と見送ることしかできない。
 それで蓮八の腹は決まった。幕府を出し抜こうとした清河はもう先が見えている。たった二百人ほどの浪士すら束ねられないようでは、攘夷などちゃんちゃら可笑しい。そうかといって祐天仙之助とのこのこ江戸へ帰れば、どんな厄災に見舞われるか知れたものではない。曲三の子分どもが手ぐすね引いて待っているだろうし、下手をすれば夜汐の刀の錆だ。だが、あの近藤ってのはどうにも虫が好かない。
 至極簡単な引き算だ。
 だったら、もう芹沢しかいねェじゃねェかよ。
 そんなわけで翌日、祐天一党とともに京をいったん発った蓮八は、木曽きそ路に入るまえにこっそり隊列を抜けた。
 正味の話、祐天仙之助の裏をかくのは朝飯前だった。いつも親分のそばにへばりついている兄貴分たちならいざしらず、そもそも蓮八のような下っ端など、くたばろうがどうなろうが大したことではない。糞でもしてくら、と陽気に隊列を離れたあとは藪のなかに身を潜め、あとは鳥のように京へ飛んで帰るだけだった。
 厄介事が待ち受けているとすれば、万が一にもふたたび祐天仙之助と相まみえたときであろう。祐天という男は人情にほだされやすく、身内には義理堅いが、裏切者には容赦がない。うっかり捕まろうものなら、腕の一本くらいは取られるだろう。しかし、攘夷騒ぎで国がひっくり返りそうになっているこのご時世に、そんな先のことまで気にしちゃいられなかった。こちとら今日を生きのびるので精一杯だ。明日にも清河みたいな奴が将軍様を斬ってしまうかもしれない。
 新徳寺に離反組はすでにいなかった。昨夜、芹沢と近藤が造反した本堂は空っぽで、浪士たちの気配だけがいまだ雲散せずにわだかまっていた。
 蓮八はどこへ行くべきか心得ていた。清河と決別した今、芹沢らに余分な銭などあるはずがない。宿屋などは使えないはずだから、これはどうしたって京でずっと厄介になっている八木源之丞方に舞い戻るしかない。
 八木邸に着いてみると、果たして見知った顔が今まさに表門に真新しい檜の大札を掲げているところだった。
「壬生浪士屯所」
 思わず声に出して読み上げてしまった。
 札を掛けていた男がふりむく。蓮八を見て、目をすがめた。いったいどこの馬の骨だ、という顔である。
「なにか御用でしょうか?」
「せ、拙者……」
 蓮八は唾と一緒に言葉を呑み、こんなところで身分を偽っても虚しいだけだと思いなおし、もし本気で生まれ変わるつもりならまずは素の自分をさらけ出すべきだと肚をくくった。
「御控ェなすって」ぐっと腰を落とし、肚の底から仁義を切った。「向かいましたる上さんと今回初めての御目通りではござんせん。あっしは浪士組五番隊、祐天一家の若い衆、ウサギの蓮八と発します。御賢察のとおりのしがなき者ではござんすが、昨日の芹沢様のお言葉に感じ入るところあり、是非とも御一党にお加えいただきたく、本日江戸へ出立した隊を捨てて舞い戻ってきた次第でござんす。どうかその胸中を察していただきたく、万端お取り計らい、よろしゅうお願い申し上げます」
 男は口をぽかんと開け、まるでしゃべる犬でも見たかのように目を白黒させたが、邸内から聞こえてきた笑声に気を取り直した。
「何事かと思って来てみれば」笑いながら出てきたのは、沖田だった。「蓮八、だっけ?」
「へい」
侠客きょうかくだね」
「ケチな野郎です」
「なんでウサギなの?」
 何気ない問いかけだが、蓮八は深読みした。この返答次第で、浪士組に入った後の格付けが決まる。そんなふうに思った。
「長ェ話をかいつまんで申し上げますと、元はケチな泥棒稼業をやっておりやして」
 そう蓮八が切り出すと、沖田の目がらんらんと輝いた。
「あっしに盗みのイロハを仕込んでくれたのが、昔の因幡小僧に薫陶を受けた男でして。この因幡小僧と申しますのは、大名屋敷から刀ばかりを盗んでおりやした。で、あっしにもその素質があるってんで、師匠が因幡小僧にあやかって」
「ああ、なるほど、因幡の素兎しろうさぎ(古事記。兎が鰐を欺き、その背を踏んで海を渡ろうとするが鰐に皮を剥ぎ取られ、苦しんでいるところを大国主尊に救われる)からきてるんだね」
「でも、もう盗みはきっぱりと止めやした」
「それからやくざになったんだね?」
 蓮八は溜息に人生を滲ませた。俺はおまえの知らないものをうんと見てきたんだ、というあのいぶし銀な溜息である。
「ウサギの蓮八か……いくつ?」
「当年とって二十一でござんす」
「本当に?僕と一緒だ。仲間になりたいの?」
「へい!」
「いやあ、それはなんと言うか……えっと、恐れ入谷いりやの鬼子母神だね」
 蓮八は目が点になってしまった。
「あれ?」沖田の顔が不安にかき曇る。「やくざってさ、そういう言い方をするんじゃないの?」
 なんてこった!
 傍らの隊士を盗み見ると、こちらもやはりひどく動揺していた。無理もない。入谷の真源寺しんげんじに祀られている鬼子母神をもじった駄洒落である。それは誰もが知っている。恐れ入りやしたと言うかわりに使うのだが、実際に口に出して言うトンマにはとんとお目にかかったことがなかった。蓮八は穴が開くほど沖田を見つめた。もしかすると、こいつはとんでもない阿呆なのかもしれない。
「え? 使わないの?」
「使いやす! 使いやす!」蓮八は頷きまくった。「使いやすとも!」
「だよね!」沖田が嬉しそうに破顔した。「じゃあ、おいでよ」
「へ、へい!」顔が熱くなった。「お、お、恐れ入谷の鬼子母神!」
「きみたちが江戸へ発ってから、守護職に嘆願書を出したんだ」先に立って歩きながら、沖田が清河らと離反した後のあらましを教えてくれた。「とりあえず僕たちは僕たちで、将軍様が江戸へ戻られるまではここでお守りできるようになった。今日から会津侯御預りだよ」
 蓮八は神妙に頷く。難しいことは分からないが、とにもかくにも芹沢らは京に残ることになったらしい。
「僕の一存では決められないけど、たぶん大丈夫だよ」そう言って、肩越しに笑うのだった。「さあ、芹沢さんに会いに行こう」
(第4回へ)
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<初出:「小説 野性時代」2017年12月号~2018年4月号>

<このコンテンツは、「小説 野性時代」2017年12月号から2018年9月号まで掲載された連載の前半部分を、単行本化を記念して18年11月末まで、期間限定で毎週更新するものです。単行本『夜汐』の発売は11月下旬を予定しております。また、本コンテンツは19年1月末まで掲載の予定です。>

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「小説 野性時代 第170号 2018年1月号」

小説 野性時代編集部

定価 860円(本体796円+税)

発売日:2017年12月12日

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