「小説 野性時代」で好評を博した連載小説を、11月の刊行に先駆けて限定公開! ある愛のため、命がけで新選組を脱した男のロード・ノベル――切なくて狂おしい「東山版」新選組小説をひと足先にどうぞ。
>>連載第1回「事の起こり」
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口入屋は凄腕の殺し屋を前に、あることを言いあぐねていた。亀吉、蓮八、祐天の三人を始末するよう伝えていたのだが、実は――。

 7

 夏ともなれば納涼船や物売りのうろうろ舟で賑わう大川おおかわだが、二月のことで河岸かしの桜がまだ沈黙していることもあり、ぽつりと浮かんだその屋根船の他には、遠くに竹町たけちょうの渡しの灯りがかすかに望めるだけであった。
 半月が、暗い水面で揺らめく。海までは幾分離れてはいるものの、夜風はかすかな潮気を含んでいた。
 とも煙管キセルをくゆらせている老船頭を眺めやってから、口入屋は話をつづけた。
「それにしても、ずいぶん時間を食ったじゃねェか」
 殺し屋は頷いた。
「まあ、おまえさんのこったから心配はしてなかったが、亀吉かめきちの居所を掴んでからずっとなにをやってたんだい?」
 殺し屋は中空に目をさまよわせた。まるでそこに正しい答えが浮かんでいるかのように。それから、ぼそりと言った。
「いつまでに殺ってくれと言われたわけじゃない」
 薄気味の悪い野郎だ。あれだけ人を斬ってるくせに、血のにおいがまったくしない。沈黙のなかに本音が洩れ出すのをおそれて、口入屋は慎重に言葉を運んだ。
「それはそうだが、わざわざ亀吉の姉貴が働いていたくるわにまで出向いたんだろ? なんでそこで殺っちまわなかった?」
「気が変わった。向かいの妓楼ぎろうに上がって様子を見てたんだが、たまたま俺についた敵娼あいかたが面白い女だったんだ」
「ほう」口入屋は身を乗り出し、「いったいどんな女がおまえさんを面白がらせるんだい?」
「一生懸命俺を好いてくれようとした。そういう女って、ちょっと一緒にいれば分かるだろ?」
「まあな」
「気がついたら、身の上をすっかりしゃべっていた。どうも俺はそういうところがいけない……で、気がついたんだが」
「なんだい?」
「聞き上手は床上手なんだ」
 口入屋がはじけたように笑いだし、老船頭がいったい何事かと首をのばす。殺し屋が船尾に視線を飛ばすのを見て、口入屋は笑いながら言った。
「あの船頭なら心配ねェよ。俺とは長い付き合いだし、下手なことを漏らせばどうなるかくらいはよく心得ている」
 殺し屋はぼんやりと頷いた。ゆったりと、殺気など微塵も感じさせないが、仕事をするときもそれは変わらないのだ。まるで扇子でも広げるように刀を抜く。斬られるほうは、まさか目のまえの男に引導を渡されるとは思わない。ほんのちょっとばかり戸惑い、なにかの悪戯だと決めつけて面白がる者もいる。
 夜汐よしおにはそれで充分だ。
 亀吉という奴だって、地獄の牛頭馬頭ごずめずに教えられてやっとてめえがくたばったことに気づいたにちがいねェ。
「それにしても、聞き上手は床上手か」口入屋は繰り返した。「そんなことを言う奴は、はじめてだぜ」
「べつに不思議じゃないさ。ちゃんと人の話を聞く奴には、相手に礼を尽くそうという気構えがある。それが遊女なら、ねやでも礼を尽くしてくれる」
「なるほどねえ」と、感じ入った。「客を喜ばそうって気持ちがうれしいってわけだな」
「分かるだろ?」
「言われてみりゃな」
 川面を渡る風が、夜汐の長い髪を乱す。
 はじめてこの殺し屋を見た日も、こんな風が吹いていた。口入屋はその頃、あくどいと評判の高利貸で小僧奉公していた。
 圓屋えんやが貸し付けたたった三両の金が膨らみに膨らんで、とある大店おおだなの番頭がとうとうかどわかしをやった。餓鬼はまだ十になったばかりで、その大店の一粒胤ひとつぶだねであった。なにがどうなったのか、誰にも分からない。分かっているのは、その拐かしが失敗したということだけだった。変わり果てた餓鬼の死体が越前堀の堀端ほりばたにころがり、番頭は行方をくらました。
 貸し付けを取り立て損ねた圓屋は、その晩、手下を引き連れて八丁堀はっちょうぼりで呑んでいた。自棄酒やけざけの肴は徹頭徹尾、逐電した番頭のことだった。今度見かけたらただじゃおかねェ。圓屋は気炎を吐いた。俺がこの手でぶっ殺してやる。
 夜四つ(午後十時頃)に店を出ると、越前堀のほうから涙の味のする風が吹いてきた。小僧は鼻の奥がむずがゆくなり、つづけざまにくしゃみをした。まるで死んだ餓鬼がいているみたいだなと思ったが、そう思ったのは圓屋も同じらしかった。うしろめたさを撥ね返そうとするかのように、もう一軒行くぞと気を張った。餓鬼なんざ拐かすのは下の下よ。道々、口をついて出るのは借金しゃくぎんを踏み倒してトンズラしてしまった畜生への恨みつらみであった。どうせろくな死に方しねェや。
 小僧は皆のあとをとぼとぼついていった。自分といくつもちがわないのに、もうあの世へ行ってしまった餓鬼のことを考えていた。どんな気分なんだろう? 人の生き死には、その人の生き様とはまるで関係がない。そんなふうに思った。正直者だって無惨に殺されるし、極悪非道の大悪党だって枕を高くして寝ていられるんだ。
 長い髪をひっつめた浪人風情とすれちがったのは、千鳥足の圓屋一行が亀島橋かめじまばしのたもとにさしかかったときだった。まばたきをひとつ、ふたつするうちに、もうすべてが終わっていた。そのへんに生首がごろごろころがり、圓屋が悲鳴を上げてこちらへ逃げてくる。小僧は足がすくみ、圓屋が背後から一刀両断されるのをただ茫然と眺めていた。刀が背を走り抜けた刹那の高利貸の形相は夜叉やしゃのようで、その魂魄こんぱくが受けるべき永劫の責め苦がこれからはじまるのだと告げていた。
 倒れ伏した圓屋の背後から現われた男は手に血塗れの刀を持っているのに、顔つきはどこか薄らぼんやりとしていて、微笑さえたたえているように見えた。男は静かに近づき、刀を鞘に収めながら、そのまま小僧の脇をすり抜けたのだった。
 あのとき、俺には分かったんだ。口入屋は思った。てめえが今、分かれ道に立っていることが。
 夜汐が穏やかな顔をこちらに向けている。
「いや、ちょいと昔のことを思い出してたんだ」照れ笑いをしながら、袱紗ふくさに包んだ小判を懐から取り出す。それを殺し屋のまえに置いた。「あのときおまえさんを呼び止めなかったら今頃どうしてたかなあ、なんてときどき考えちまうんだよ」
 夜汐は袱紗を見下ろし、またぞろ口入屋に顔を戻す。一連の動作は用心深い猫を思わせた。
 ふたりの視線が交差した。川の静けさがのしかかってくる。
 高利貸を始末して立ち去る殺し屋の背に、小僧はふるえながら声をかけたのだった。俺に手伝えることはないかい? 夜汐はふりむき、ちょうど今みたいなかおで見つめてきた。俺をあんたの口入屋にしてくれたら、もっといっぱい仕事を取って来れるぜ。いっぱい仕事がしたいわけじゃない。夜汐は言った。死ぬべき奴を連れていくだけなんだ。へぇえ、誰が死ぬべきかなんて、どうしてあんたに分かるんだい? 分かるさ、と夜汐は言った。俺の耳に届いてくる名前はみんな死ぬべき奴なんだから。
「あのとき、おまえさんは狼の話をしてくれたな」と、口入屋が言った。「その狼を殺してそいつの名前を受け継いだんだっけ?」
 夜汐が頷く。まるで口入屋の頭のなかで渦巻いていたことを、あまさず見てきたかのように。
 伴天連バテレンの悪魔? 小僧は尋ねた。じゃあ、この塩っ辛い風はあんたにくっついてるってことかい?
 風は悪魔についていて、悪魔は俺についている。夜汐は答えた。悪魔が現われるときにはかならず予兆がある。やたらとからすが群がるとか、むしが湧くとか、硫黄みたいな臭いにおいがするとか。
 けど、硫黄はしょっぱくないぜ。
 悪魔はたくさんいるから、なかにはしょっぱい風をまとった奴もいるんじゃないのかな。よくは知らないが、とにかく村の坊さんがそう言っていた。
 まあ、奴等だって海を越えてやって来るわけだしな。
 そういうことなのかもしれないな。
 もしもこいつの言う悪魔ってのがこの世にいるとしたら、と夜汐から目を逸らしながら口入屋は思った。そいつの面もきっとこいつと同じで仏と見分けがつかねェんだろうな。
「分かってるって」口入屋は我知らず自分の首をさすっていた。「約束の額とちがうって言いてェんだろ? けど、今回は三人をいっぺんに請け負ったから、ちょいと割り引いてやったんだ」
 夜汐は黙したままだ。
「いや、もうこうなったら正直に言うよ。じつのところ、蕎麦屋の曲三きょくぞうから請け負ったのはイタチの亀吉とウサギの蓮八れんぱちだけなんだ。祐天ゆうてんのほうは、曲三の子分が殺したがってんだよ」
「訳は?」
「祐天が蓮八に亀吉の盆を襲わせなきゃ、そもそも何事もなかったわけだろ? 曲三にバレることもなかった」
「それだけか?」
「勿論それだけじゃねェさ。この一件で指を詰めさせられて頭に来てんだよ。だから身銭を切って祐天を殺すことにした。だけど、おまえさんに頼むにゃちょいと額が足りねェ」
「だから便宜を図ってやった」
「べつにおまえさんを出し抜こうとしたわけじゃねェんだ。とにかくしみったれた野郎なんだよ。けど、下手にことわったら刺されそうだったんだ。曲三からは餓鬼どもは殺すなと言われてるらしいが、見つけしだい腕を斬り落としてんだぜ。それくらいはらわたが煮えくり返ってんだよ、そいつは」
「だったら、おまえの取り分から便宜を図ってやればいい」
「いやいやいや! 俺だって懐を痛めてるんだぜ。稼ぎの三割って決めたじゃねェか。おまえさんの稼ぎが減りゃ、俺の取り分だって減る。言ってみりゃ、今回は痛み分けだぜ」
 立膝で船べりに寄りかかっていた夜汐が座りなおすと、手元に横たえた太刀がにわかに存在感を増した。
「こ、この稼業は持ちつ持たれつだろ?」口入屋は手をふりまわして弁解した。「俺がいなきゃそっちだって困るだろ。それに……それにこの御時世だ、町にゃ金で汚れ仕事をしてくれる浪人がいくらでもいるんだぜ!」
「だったらそいつらに頼めばいい」
「そう言うなって。おまえさんの腕は値段に見あってる。けどよ、これからこういう仕事は減るいっぽうだぜ」
「あのとき、どうしておまえを殺さなかったと思う?」
 背筋がぞくりとした。
「おまえがもう死ぬ気でいたからだよ」
 口入屋は粘つく口を開いた。「今はちがうと言いてェのかい?」
「それがこの世の面白いところだ。死ぬことなんか平気だったやつが急に死を恐れだす……勿論、逆もある。分かるだろ?」
「これからは鉄砲の時代よ」と言い募った。「高い銭出してわざわざおまえさんを雇わなくても、そのへんの餓鬼に二束三文で仕事を頼めるようになる。亀吉の盆を荒らした餓鬼だって鉄砲を持ってたんだぜ。分かるだろ? 時代は変わったんだ。曲三が仕事をまわしてくれなきゃ、困るのは俺らのほうなんだぜ」
「曲三の話はしていない。俺は曲三の手下とおまえの話をしている」
「この稼業、あいだに人が入れば入るほど上前うわまえを撥ねられる。けどよ、俺がいるからおまえさんは曲三みたいな奴と直談判せずに済む。それで身の安全を買ってんだろうが? だったら、こんな屁みてェな小銭に目くじらを立てることもねェだろ」
「やっぱり上前を撥ねてるんだな?」
「だから、そうじゃねェってば!」
 殺し屋は思案顔で袱紗を見下ろした。袱紗と刀、どちらに手をのばすべきか考えているようだった。口入屋は真剣に川に跳び込むことを考えたが、夜汐はやおら袱紗を掴んで懐に仕舞うと、何事もなかったかのように川風に目を細めるのだった。
「そいつは仕事始めの手付さ」口入屋は胸を撫で下ろした。「とにかくイタチの亀吉は片が付いた。残金は祐天仙之助せんのすけとウサギの蓮八を殺ってからだ」
「ひとり殺るごとに払ってもらう」
「分かった! 分かった!」
「祐天仙之助は浪士組に入って京へ上ったんだろ?」
「さあて、ここからが本題よ」口入屋は気を取り直し、「いい話と悪い話、どっちから聞きたい?」
 殺し屋が微笑した。
「よし。じゃあ、まずはいい話からだ。浪士組はまた江戸に戻ってきたぜ」
「またどうして?」
「浪士組ってのは幕府の預かりだろ? たしか去年の暮れから浪人を募ってたな。で、その浪士組のかしらってのが清河八郎きよかわはちろうって野郎なんだが、幕府のろくをもらっといてこれがじつはかなり過激な攘夷論者らしい。やつが浪士組を率いて上洛したのは、なんと朝廷に攘夷を建白するためだったのよ!」
「幕府を裏切ったということか」
「はじめっから算段済みよ。それで江戸に呼び戻されたんだとさ。俺の考えを言おうか? その清河って野郎はもう長くねェよ。こいつを生かしておいちゃ幕府の沽券こけんにかかわるからな」
「じゃあ、祐天と蓮八も江戸に帰ってきてるんだな?」
「そう思うよな」口入屋がニヤリと笑った。「どっこい、ここからが悪い話よ。江戸に戻ってきたのは祐天だけで、ウサギの蓮八は京に残ったらしい」
 殺し屋が小首を傾げた。
「どうやら浪士組のなかにも清河のやり口が気に入らねェ奴等がいて、たもとを分かったみてェなんだ」口入屋は話を継いだ。「蓮八がなんで京に残ったのかは訊いてくれるなよ。俺にも分からねェ。祐天に命じられたのかもしんねェし、てめえで決めて残ったのかもしれねェ」
「つまり、俺は京に行かなきゃならないのか?」
「おっと、またひとついい話を思い出したぜ。蕎麦屋の曲三はあっちにも兄弟分がいる。鴨屋かもや惣介そうすけってのを訪ねて行きな。そいつが面倒を見てくれる」
 夜汐の口から溜息が漏れた。
「分かってると思うが、先に祐天を殺らねェほうがいいぞ」船を着けてくれと船頭に叫んでから、口入屋は切り口上で言った。「親分が殺されたと知ったら蓮八のやつ、トンズラしちまうかもしんねェからよ」
(第3回へ)
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<初出:「小説 野性時代」2017年12月号~2018年4月号>

<このコンテンツは、「小説 野性時代」2017年12月号から2018年9月号まで掲載された連載の前半部分を、単行本化を記念して18年11月末まで、期間限定で毎週更新するものです。単行本『夜汐』の発売は11月下旬を予定しております。また、本コンテンツは19年1月末まで掲載の予定です。>

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書籍

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小説 野性時代編集部

定価 860円(本体796円+税)

発売日:2017年12月12日

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