自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす25歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>> 【連載第26回】「生きているご褒美」
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2018年5月9日(水)

 僕はドミノ倒しの動画を、いつも爽快な気分で見ている。
 ドミノ倒しは、並んでいるドミノの(パイ)が、ひとつ向こうの牌を倒す単純な遊びだが、たくさんの牌を並べることによって、さまざまな仕掛けを作ることが出来る。
 動画を見ていると、息をのむ展開に目が離せなくなることがある。ドミノが倒れるほんの数秒の時間が、とても長く感じられることもある。壮大な物語を見ている気分になれるドミノ倒しの動画まであるのだ。
 いかに美しく思いがけない牌の動きを描き出すか、映像から制作者の情熱が伝わって来る。
 僕の目は、次々と倒れるドミノの牌だけを、目で追いかけているわけではない。牌が倒れ瞬時に場面が変わる映像全体に引き込まれているのだと思う。
 すべてのドミノが倒れるまで、あっという間だ。またたくまに状況は変動していく。これは日常生活では、なかなか味わうことの出来ない光景といえるだろう。
 僕の知覚が、高速で推移する変化を求めているのかもしれない。目や耳から入って来る刺激のために、思考が後回しになっている状態とでも言おうか。
 目の前で展開されている状況が、あまりに速過ぎて、脳が思考停止してしまうのだ。結果的に脳が休息することになり、僕の気分は、さっぱりするのだろう。
 ドミノを芸術とみるか、娯楽とみるか。どちらでもいいと答える人は、ドミノの楽しさを知らない人ではないだろうか。

2018年5月10日(木)

 ぐずついたお天気の後、急に晴れると目の前がぱっと開けたような感じになる。何もかもぴかぴかしてきれいだ。光が目に入り込み、僕は思わず下を向く。
 大気中のチリやホコリが雨によって洗い流されたために、太陽が出るとまぶしく感じるのだろうか。
 明るいだけで気分がよくなる。
 人の感情を、明るさが左右するのだと改めて感じる。
「暗く寂しい」という表現はよく聞くが、「明るく寂しい」とは言わない。
「明るく楽しい」という表現はよく聞くが、「暗く楽しい」とは言わない。
 明るいという表現は、それだけで夢が持てる言葉なのだと思う。
 僕は、言葉が人の心に与える影響について考えることがある。
 自分の心にぴたりと合う言葉を探し出せた時、人は欠けていたパズルのピースが見つかったみたいな喜びに浸る。心の隙間を言葉が埋めてくれたのだろう。
 自分を救ってくれる言葉を求め、人の心はさまよう。
 世の中には、こんなにも言葉が溢れているのに、探している言葉は、簡単には見つからない。
 心の奥底まで言葉で表現できれば、人は今より幸せになれるのだろうか。
 僕は顔を上げ、お日様に向かって胸を張ってみる。心の中全部をさらけ出したい。
 僕の探している言葉が、この光に照らし出されることを願って。
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2018年5月12日(土)

 ひたむきに頑張る人は、決して自分の能力を高く採点しないと思う。なぜなら、どの程度の人間か、自分のことを客観的に評価できているからである。だから、王道を進もうとするし、結果が出るまで時間もかかる。
 すぐに成果が表れるなら、それもいい。けれど、その成果は本物なのか、一時的なものではないのか、見極めなければならない。
 時間がかかることを無駄だと思ってはいけない。どのようなことにも努力は必要なのだ。
 では、ゴールはどこだろう。それを判断するのは難しい。人生最期の日だという人もいるかもしれない。究極の答えだろう。
 仮にゴールを、目標を達成した時点だとしよう。
 ほとんどの場合、途中で目標は変更される。結局のところ、自分が実現出来ることは限られているからである。むろん、より高い目標に挑戦出来るとしたら、喜ばしいことに違いない。ただし、達成出来たからといっても、幸せになれるかどうかはわからない。
 今いる状況が違ってくれば目標も変わり、未来も変化するのは当たり前のことなので、一度決めた目標が変わることを恐れたり、悲しんだりする必要はないのだと思う。
 忍耐強く一途に打ち込めば、未来は開ける。挫折しても、失敗しても明日は来るのだ。
 どんな時も目標は、明日の先に掲げられるものである。

書籍

『ありがとうは僕の耳にこだまする』

東田 直樹

定価 648円(本体600円+税)

発売日:2018年03月24日

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