2017年の流行語となった「忖度」は、相手の意向を推し量り、先回りして満たそうとすること。政治家や官僚だけでなく、大企業や医療業界、メディアなど、いたるところに蔓延っています。「忖度」は日本人の美徳なのか、それとも卑屈な精神のなせる業なのか? 日本社会に横たわる構造的な問題を、具体的な事例をもとに、精神科医の片田珠美さんが『忖度社会ニッポン』であぶり出しています。本作の「はじめに」と冒頭の一部を公開しますので、ぜひご一読ください。
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はじめに

 忖度という言葉が2017年の流行語になったのは、「あれくらいのことは誰でもやっている」と感じた日本人が少なくなかったからではないか。
 たとえば、50代の会社員の男性は、「会社で忖度しなかったら、出世できるわけがない。忖度するのが面倒だったら、出世を諦めるしかない」と話した。30代の子育て中の女性も、「ママ友の中で忖度しなかったら、『気が利かない』とか『空気が読めない』とか言われる。『空気』を読めないと、仲間はずれにされるので、忖度しないわけにはいかない」と話した。
 また、私の外来に通院している患者の中には、相手が何を望んでいるのかを常に気にせずにはいられず、忖度に時間とエネルギーを費やしすぎて疲れ果てた方が少なくない。いわば「忖度疲れ」に陥り、心身に不調をきたしたわけで、こういう方は、「波風を立てたくない」「気に入られたい」「嫌われたくない」という願望が人一倍強く、他人の評価や評判に過敏に反応する。
 忖度がこれまであまり取り上げられなかったのは、日本社会では相手の気持ちを「察する」ことが当たり前とされてきた、いや、それどころか美徳とみなされてきたからだろう。ところが、森友学園や加計学園をめぐる騒動を契機にして、忖度という言葉がメディアで取り上げられると、一気に脚光を浴びた。その是非についての議論も活発になった。
 こうした現状を目の当たりにして、忖度は日本人の精神構造と密接に結びついた宿痾(しゅくあ)だという印象を抱かざるを得なかった。そこで、忖度にまつわる問題を切り口にして日本人の精神構造を分析しようと思い、書き上げたのが本書である。
 まず第1章で、具体例を紹介しながら、忖度がいたるところに浸透している日本社会の現状を明らかにする。次に第2章で、なぜ忖度するのかについて分析する。
 さらに第3章で、日本社会で忖度がはびこる原因を、続く第4章で、日本社会から忖度がなくならない原因を分析する。
 最後に第5章で、忖度社会である日本でどう対処すればいいのかについて私なりの提案を行う。
 忖度しすぎて疲れ果てている方も、「空気」を読むのも忖度するのも苦手な方も、是非お読みいただきたい。

第1章 忖度社会

 この章では、忖度が日本社会にどの程度浸透しているのかを、具体例を紹介しながら明らかにしたい。

忖度とは何か

 まず、忖度とは何かを明確にしておこう。本書では、次の三つの条件が揃った場合に忖度と呼ぶ。
 ①相手の指示がなくても、
 ②相手の意向を推し量り、
 ③先回りして満たそうとする。
 また、忖度は、立場の弱い人が、立場の強い相手に対してすることが多い。たとえば、会社では部下が上司の意向を推し量る場合がほとんどだ。上司が何を望んでいるのかをあらかじめ察知して行動すれば、「できる奴」「気が利く」などと評価されるが、逆に上司の意向など全然気にかけずに行動すれば、「自分勝手」「協調性がない」などと叱責(しっせき)されかねないからである。
 もちろん、上司が部下の希望や不満を推し量ることもあるだろう。管理職の力量は、どれだけ部下を働かせて業績を上げるかで決まるので、上司が自分自身の評価を高めるべく、より働きやすい職場環境を作るために、部下の気持ちを推し量るのは当然だ。それがうまくできる上司は、部下から慕われる。また、士気も上がるので、業績に好影響が出やすい。
 ただ、上司が部下の気持ちを推し量る場合は、「~してあげる」というニュアンスが強いように思われる。部下が上司の意向を推し量る場合には、しばしば「~せざるを得ない」という必然性が伴うが、こうした必然性が上司には薄いのではないか。
 たとえば、深刻な人手不足に悩む会社で、部下が辞めると事業継続が困難になるとか、部下の退職の責任を問われるという場合は、上司も必死になって部下の気持ちを推し量ろうとするだろうが、そういう場合はまれだ。むしろ、上司の意向を推し量る部下の側に必死さがにじみ出る場合が圧倒的に多い。
 そこで、この章では、相手の意向を推し量る側に何らかの必然性がある忖度の事例を取り上げ、その根底に潜む問題をあぶり出す。

森友学園をめぐる忖度

 忖度は、2017年の流行語になったが、この言葉が脚光を浴びるきっかけになったのは、学校法人「森友学園」をめぐる騒動である。評価額がおよそ9億6000万円の国有地が、8億円以上値引きされて学園に払い下げられたのは、政治家の口利き、あるいは財務省の官僚の忖度があったからではないかと取り沙汰された。
 この点について、学園の前理事長、籠池泰典氏は、2017年3月23日、衆参両予算委員会での証人喚問に引き続き、日本外国特派員協会で臨んだ記者会見で次のように発言している。
 国有地の売買をめぐって安倍晋三首相の口利きがあったのかと問われると、籠池氏は「口利きはしていない。忖度をしたということでしょう」と答えた。また、忖度をしたのは誰なのか、具体名を挙げるよう求められると、「財務省の官僚の方々でしょう。方々ですよ」と言葉を濁した。
 籠池氏は、しばしば信憑性に疑問符が付く発言をしている。また、2017年7月31日には、国の補助金5600万円余りをだまし取っていたとして、詐欺の疑いで大阪地検特捜部に妻の諄子(じゅんこ)氏とともに逮捕された。それだけでなく、運営していた幼稚園で専従の教職員の数や障害がある子どもの数を水増しし、大阪府の補助金を不正に受け取っていた疑いでも告発されている。
 したがって、籠池氏が何となくうさんくさい印象を与える人物であることは否定しがたい。ただ、「財務省の官僚の方々」が忖度をしたという話には、それなりの説得力があると私は考える。次の三つの理由による。
 ①首相夫人の影響力
 ②官僚は〝忖度の達人〟揃い
 ③内閣人事局
 
 
(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)
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書籍

『忖度社会ニッポン』

片田 珠美

定価 864円(本体800円+税)

発売日:2017年11月10日

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