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特集

【会員限定】伊坂幸太郎 幻の短編「Drive/イントロ」

『マリアビートル』ハリウッド映画化記念
伊坂幸太郎、幻の短編が読める!

「小説 野性時代2015年11月号」に掲載された単行本未収録短編「Drive/イントロ」を、カドブン会員の皆様だけにお届けします。
※公開は期間限定です。予告なく終了する場合がありますのでお早めに閲覧ください。

▼【会員限定】伊坂幸太郎 幻の短編「マリアビートル・イントロダクション」はこちら
https://kadobun.jp/feature/readings/entry-45957.html

Drive/イントロ

伊坂幸太郎

 わたしは優しい。妻は言ったが、自ら口にする段階で真実味はなくなる。優しいかどうかは他者が決めるものだからだ。妻もそれは分かっている。だから、最も近くにいる他人、兜に向かい、「よね?」と訊ねた。「わたしは優しいよね。そう思わない?」
「まさにそのことについて俺も考えていたところなんだ」
「あら」彼女は言いながら、赤のアテンザの後方に移動し、大きなバッグをトランクに詰めた。
 兜は、恐妻家にプロとアマチュアがあるならば、と思う。もしアマチュアなら、妻が荷物を運ぶことを気にし、「重いだろ。運ぼうか」と声をかけるだろう。そして、荷物を実際に持ってあげるに違いない。が、妻には妻の考えと、やり方がある。下手に夫が横から口や手を出すことで、「自分のやろうとしていたことが阻害された」と不満を抱くことがある。もしくは、「わたしだって、これくらいの荷物、運べるのに」と立腹する可能性もある。
 妻が依頼してきた時、その段階で初めて手を貸す。彼女の指示通りに。
 そこまで分かっている自分に兜は、誇らしさを覚える。
 が、妻がトランクを閉めた音が少し大きかったことが気にかかった。その音の大きさは、彼女の不愉快の表われに感じられたからだ。「今は、こちらから声をかけて、鞄を運ぶべきだったのか」と自信を失う。正解はなかなか分からない。恐妻家と呼ばれる者たちはみな、同じ悩みを抱えているはずだ。一流のディーラーたちがマーケットの流れを完全に読むことができないのと同じだろう。彼らは「まさに株式市場は生き物ですから」と言う。「だから、その瞬間瞬間でどうすべきかは変わるんですよ」と。それと同じだ。「まさに妻は生き物ですから」という文章が過る。
「親父、これはトランクがいいかな?」円形に畳まれた簡易テントを持った克己が訊ねてくる。「というか、こんなの使うの」
「どうだろうな」
「おふくろが念のため、持って行こうと言ってたけれど。鴨川シーワールドって水族館でしょ?」
 目的地は東京湾の向こう側、房総半島の東側、老舗水族館だった。兜は一度も行ったことがなかったが、キャンプ場があるとも思えない。だが妻が言うのならば、持って行くほうが良いだろう。「トランク内がいっぱいなわけでもない」と自らに言い聞かせるように、言った。「おまえと遠出するのも久しぶりだな」
 兜としては、高校三年生の克己と出かけられること自体は嬉しかった。思春期の高校生にとっては親は鬱陶しい存在に他ならない。しかも克己が受験生となってからは、学校や勉強とは縁遠い兜としてはいっそう、どう接していいのか分からず、距離を置いていた。どうにか希望の大学に入学が決定したらしく、ほっとしたところだ。
「本当に運転させてくれるの?」
「あ、そうだよな」「おふくろには?」「まだだ」「やっぱり」「おまえのことが心配なんだよ」
 克己はいつの間にか教習所に通っており、運転免許を取得していた。今時の若者は車に対する憧れや興味がない、と聞いていたから意外ではあった。妻は例によって、母親ならではの勘繰る力を発揮し、「大学生になったら、軽薄な仲間に唆されて、海とかビーチとかに車で行かされるんじゃないかな。煽られて、スピードを出し過ぎて、電柱にぶつかるんだから」と心配を兜にぶつけた。海とビーチの違いが分からなかったが、それ以上に、彼女の語る克己の危機がいつも、被害者としての心配ばかりであることには、一言申したくもなる。人を傷つけるどころか、命を奪うことを仕事にしている兜からすれば、息子が加害者側に立つことへの心配も常にあった。積極的に犯罪に関与するような息子でないのは確かだが、その気はなくとも良からぬ思惑に巻き込まれたり、知らぬうちに罪に加担していたりすることはありえる。兜は今まで、そういった若者を何人も見たことがある。とはいえ、そのことを妻に話すつもりはない。


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